ふと表紙を見直し、手にしたものが寛文二年壬寅のものであることを確かめた。====以上引用
星巡りは五黄土星。自分が生まれた年は己卯で、一白水星。今年が自分にとってどんな年であるかが、十干十二支と星という、ただそれだけで、なんとなく漠然と理解できる気がしてくる。あるいは託宣にも似た、日々の生き様の指標となる何かが降って湧くような思いがする。今自分が手にしているのが伊勢暦であることが余計にその実感を裏打ちした。
書き方が、非常に微妙なのだが、「五黄土星」が暦に書かれているような、いないような・・・。伊勢暦に記述されているのは、方位、十干十二支、五行、簡単な暦注のみで、九星は記述されていないはずである。従って、この当時、伊勢暦を見て、九星を云々することはありえない。
国立国会図書館 「日本の暦」—日本全国の地方暦
寛政10年(1798)伊勢暦の現物がおがめる。
現代の伊勢暦 平成十四年一月
ちょっと古くて申し訳ない。拙宅には、これしか架蔵していなかったので・・・。現代のは、「理科年表」に近い(というか、たぶん「理科年表」の転載)。「六曜」「九星」等は当然排除されている。んが、さすがに「六曜」は単票の別紙添付となっている。
九星が暦に取り入れられるのは明治以降の、「神宮なんちゃら」「高島かんちゃら」系の、偉大なニセモノ暦からである。これらは、神道とも関係なければ、高島易の正統な後継者でもない。「消防署の方から来ました」といって、消火器を売りつける輩と大差ない。
冲方先生の記述したとおり、頒暦は莫大な利益をもたらす。詐欺も百年続ければ、立派な株式会社になり得るという実例。旧暦、九星、六曜を公式に発表する機関が存在しない以上、これらの会社の存在価値を認めざるを得ない。何を隠そう、私も毎年大変お世話になっている。
高島嘉右衛門 wikipedia
「其名巳(すで)に『うらなひ』(不売)と云ふが故に、決して金銀等の礼謝を受けず、実に神易を以て神明に通信するを本分の職務とするときは、始めて神官の名称にも副(かな)ひ、人の信用浅からざるべし。」
閑話休題
さすがは、かわうそ@暦 さん。既に指摘済みでした。
====以下【日刊☆こよみのページ】2010/04/06 号 (No.1284) より引用
大和暦(貞享暦)を作り出した際に主人公の渋川春海が「里差」を発見するわけですが、この「里差」の説明は中国と日本の緯度の差によって起こると書いている点が一番大きな間違いです。====以上引用
授時暦の日食予報が外れた理由に中国と日本の緯度の差もあったのは確かですが「里差」といった場合、これの指す意味は専ら緯度ではなくて経度の差の問題。現在でいえば「時差」と呼ばれるものを指します。これは暦に関係する重要な概念の言葉の意味を取り違えて書いているので、大変残念。
他には、前半にあった北極出地の途中で伊勢暦を購入し、「寛文二年、壬寅の年」の暦に対して、「星回りは五黄土星・・・」なんていっている場面。残念ながら当時の暦に年家九星が載っているはずは無いですので、この場面はおかしい。
もし仮にこの「五黄土星」を渋川春海が自分で暗算で導き出してつぶやいたとしても、おそらく当時であれば、この年を「五黄土星」とはいわなかったはずです。今の年家九星の巡りから逆算するとこの年が「五黄土星」は正しいのですが、なぜだか江戸時代の年家九星は現代のものと60年分ずれていたことが判っていますから、現在から逆算して「正しい」年家九星は、当時としたら間違いということになります。
他にも「?」と思ったところは何ヵ所かあったのですが、今明確に覚えているのはこの二点。
後者はつまらない話ですが、前者はかなり困ったものだなと思います。まあ、こうした点に目を瞑っても小説自体は楽しめますが、やはり気になりますね。
CID1275910801 ヌルハチ — 2010/06/07@20:40:01
「天地明察」の書評が載っていました。
やはり「算法勝負」があやふやであるとして、
>晴海の人生を託すなら、その成長にマッチした問題を用意して欲しい(『麻雀放浪記』の闘牌みたいに)。
とあります。
ネットで検索してブログを見たとありますので、このブログも見たかもしれませんね。