東遊記後編 卷之二 松前の津波


規則 4: 都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。

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松前の津波の項を追加。寛保元年七月十九日(1741年8月29日)、火山活動に伴う渡島大島北側斜面の山体崩壊によって発生した(という説がある)寛保津波の伝聞である。興味のある方は「寛保津波」をググってね。
卷之二
 〇松前の津波
奧州津輕領三馬屋といへる所は、松前渡海の湊にて、其間纔に七里を隔てたり。兩方の
山々の鼻相臨める所は、三四里許にても達すべし。此三馬屋に逗留せし頃、一夜此家の
近きあたりの老人來りぬれば、家内の祖父祖母抔打集り、圍爐裏にまと居して、四方山
の物語せしに、彼者共語しは、扨も此二三十年已前松前の津波程おそろしかりしことは
あらず。されど佛神はあらかじめよくしろしめして、其告もありしかど、おろかなる人
間、其時まで露しらずして、海邊の者皆死うせしなり。定て上方にても聞及び給ひて
んと云。膝すり寄りて、いかなる事にて有りしやと問ふに、其頃風も靜に、雨も遠かり
しが、唯何となく空の氣色打くもりたるやうなりしに、夜々折々光り物して、東西に
虚空を飛行するものあり。漸々に甚敷、其四五日前に到れば、白晝にもいろ/\の
神々虚空を飛行し給ふ。衣冠にて馬上に見ゆるもあり。或は龍に乘り、雲に乘り、或は
犀象のたぐひに打乘り、白き裝束なるもあり。赤き、青き、色々の出立にて、其姿も亦
大なるもあり、小きもあり。異類異形の佛神空中にみち/\て、東西に飛行し給ふ。我
我も皆外へ出て、毎日々々いと有難くをがみたり。不思議なる事にて、まのあたり拜み
奉ることよと、四五日が程もいひくらすうちに、ある夕暮沖の方を見やりたるに、眞
白にて雪の山のごときもの遙かに見ゆ。あれ見よ又ふしぎなるものの海中に出來たれと
いふうちに、だん/\に近く寄り來りて、近く見えし島山の上を打越して來るを見るに、
大浪の打來るなり。すは津波こそ、はや迯よと、老若男女我さきにと迯迷ひしかど、し
ばしが間に打寄て、民屋田畑草木禽獸まで、少しも殘らず海底のみくづと成れば、生殘
る人民、海邊の村里には一人もなし。我々も遙に見しに、其浪數千里の沖より來りて、
其高きこと雲のごとく、磯近き迄は、浪といふ事思ひもよらざりしなり。されど唯一
寄せにて直に引たり。いかなるゆゑといふ事しる人なし。扨こそ初に神々の雲中を飛行
し給ひけるは、此大變ある事をしろしめして、此地を迯去り給ひしなるべしといひ合て、
恐れ侍りぬと語りぬ。其座にありける四五十以上の老人は、皆まのあたり見覺えて、口
口に語りぬ。此事にて思ひ合すれば、我友塘雨諸國行脚の時、石見の國にて海邊を通り
しに、海の底より潮卷上り來て。川上遙にゆり上り、懸り居し船など、大に驚き大變な
りと騒ぎあひ、海嘯といふものならんや抔いひたると語りし。其年月此頃に當れり。す
べて北海邊は、此時皆何方も海の底大に潮湧返りて騒動せしと、何れの國にてもいひし
なり。彼松前の波先の響北溟一面に動きしとみえたり。誠に希代の珍事なりき。又後世
の心得にもなるべき事なり。
飛行体は火山活動による噴煙と推察する。「天地明察」盗作疑惑からどんどん遠ざかってきているが・・・。

 

— posted by nitobe at 08:53 pm   commentComment [0] 

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