Title
善光寺道名所圖會
Book
善光寺道名所圖會卷之一
Section
安曇 池田
Description
六丁程相對して巷をなし其餘町裏に散在す繁昌の地なりこれ
より大町へ三里此宿の西に近く有明山とて高山あり屏風岳五六岳
【くらしし:ニホンカモシカ】
の間に見ゆ信濃冨士と称す鷄雷鳥熊くらしゝ等多しといふ此あたり
を有明の里といふも此山の邊故とかや浅間山に劣らぬ高岳にて常に霧
深く立こめて山の姿もあらはならす西行上人の歌とて人の口碑にあり
信濃なる有明山を西に見て心ほそのゝ道をゆくなり
細野といふ所も程近し猶古詠あり
【後略】
【くら志志(名)〔皮ヲ鞍褥トスレバイフ〕かも志志ニ同ジ。『言海』】
Book
善光寺道名所圖會卷之二
Section
安曇 大町
Description
海の口へ弐里大町は拾丁許相對して巷をなす繁昌の地にし高
冨家多し・・・【後略】
Subtitle
○
Description
青木の湖を過て曠野あり佐野村の内にて仁科街道なり佐野の二
僧の塚は往還の左側に有り傍に碑銘を建高サ五尺はかり巾三尺
程の石なり苔むして文字鮮ならず裏に二僧の哥を彫れり
Subtitle
西行選集抄
Description
永暦の末八月の頃しなのゝ國佐野のわたりを過侍りしに花珠に面
白く虫のこゑ/\啼わたりて行過がたく侍りて野邊にはいくわい
し侍るに玉鉾の行かふ道の外にすこし草かたぶくばかりに見ゆる道
ありいかなる道かあらんとゆかしく覚えて尋至りて侍るに薄苅萱
女郎花を手折て庵むすびて居たる僧ありよはひ四十あまり五十に
もや成ぬらむと見えたり前にけしかる硯筆ばかりぞ侍りける誠に
たふとけなる人に侍り庵の内を見入侍れば手折て庵に作れる
草%\に帋にて札をつけたり
薄のやどりには
すゝきちる秋の野風のいかならむよる鳴くむしの声のさむけさ
苅萱のしとみには
山かけや暮ぬと思へばかるかやのしたをく露もまたき色かな
ふじばかまのふすまには
露のぬきあたに織てふふぢはかま秋風またてたれにかさまし
荻の戸には
夕さればまがきの荻にふく風のめにみぬ秋をしるなみたかな
女郎花のさけるには
女郎花咲るまがきの秋の色はなほ白妙のつゆそかはらぬ
萩のさけるには
萩かはなうつろふ庭の秋風にした葉もまたてつゆはちりつゝ
とふだをつけて座禪し給へり殊にやさしく尊く覺て何わざ
の人ぞ何國より爰へは來り給ふにやといふにこの春よりとばかり
答て其のちは何事を問ひしかども終にものものたまはざりき去ほど
に日もかたふけば名殘はつきせねどもなく/\わかれてまかり侍し
が結縁せまほしくて麻の衣をぬぎかの庵に置て出侍りき斯て西の方
へあゆみ出たれば寔にけはしき山あり山水清く流れて岩のありさま
【?】
みるにめづらかに繪にかくとも是にはにじと心とまる程の所あり河
の水上をたづね見行ば一丁余來ぬらむと思ふほどに木の葉をさしお
ほひてむそしあまりにたけたる僧いまそかりける爰にも又かかる人
おはしけると思ふに胸うちさわきていそぎよりてみればうるはしく
座してねふるやうにていきたえ給へる人なり木のえだに紙にて札を
付たまへり
紫の雲まつ身にしあらざれば澄る月をそいつまでもみる
といふ哥のふだ有り哀にかなしく侍りて上の聖の同行にこそと思ひ
いそぎ行てしか/\といふいと哀にこそとて硯引よせてかくなん
迷ひつる心のやみを照しこし月もあやなく雲がくれけり
とかき終りて筆を持ながら眠るやうにてをはられぬあさましくかな
しくて袂にとりつきておめけども甲斐ぞ侍らぬ又山陰に住たまへる
人をいかゞおはするとおもひてなく/\走り行て見侍ればかうべ前
にすこしかたぶき居たまへり扨有べきに侍らねば烟となし奉らむと
おもひ火うちて既に焼奉らんとし侍りしに、餘りにかなしかりしか
ば閑居の友ともしたてまつらまほしくて涙をのごひおろ/\かの姿
を繪にとゞめて後煙と成し奉て野邊のひじりのかたへ行てみれば
かれもかうべはかたぶき給ひしかば、同しく姿を撮しとゞめて同し
く火にて焼あげて其夜は野邊にとまりて終夜念佛して一佛淨
土へと冀ひ侍りて明ぬれば庵の歌ども取て泣/\去り侍り哀れ
尊かりける事哉生死心に任せ給へるそ有がたく侍るめでたき禪
僧などにおはしけるにこそ哥さへ末の世には在べしともおぼえぬ程
に侍り所から殊に心もすむべきありさまに侍り人里も侍らず又持貯
へる物も見えず何としてしばしの程の命をもさゝへ給へりけるぞや
我世をそむいて廣く國々を経廻りしに尊き人/\数多見侍りしかど
もかゝる人にいまだ逢ひはべらず 下略
Figure 2015
Figure 2017-2018
Description
抑西行上人は鳥羽院の御時左兵衛尉憲清とて北面に召仕はれし人也
出家の後西行法師といふ彼先祖は天児屋根命十六代の後胤鎮守府
将軍秀卿九代の孫右衛門秀清に孫康清が一男なり弓箭の家に傳
はり武藝の誉を施し養由が百矢の臑差を習ひ張良が三畧の書を究
む凡文を好んでは菅家紀家のきうさうを隠し蛍を拾い雪を聚て身
を照す媒とす管弦の道も暗からず故に我国の風俗なれば和歌に至
りては枯たる木艸に花を咲かせ鬼神の心を和ぐる事昔への歌*
にも恥べからずされば朝恩他に異り急ぎ廷尉にもなさるべき御気
色頻りなりしかとも兎角に申遁れ出家の志弥深しといへども
*入力中
Figure 2019-2020
Book
善光寺道名所圖會卷之三
Figure 3048-3049
Description
むかし西行上人この国
遊歴のみぎり戸隠に
まゐらんとて飯縄原を
通られしがみちの傍なる
児の蕨を採居たるを見て
わらびにて手なやきそと
たはふれ給ひしかば児
ひの木笠にてかしらなやきそ
となんいらへける夫より
戸隠の日の御子の
社頭に桜の盛り
なりけるが初き子の
上人を見て此桜に
つとのほりければ西行
さるちごと見るより
はやく木にのぼる
と口すさみありければ
犬のやうなる法師きたれば
とつゞけける上人ふしきの
思ひをなし是たゞ人に
あらず登りては
あしうかなんとて
是より引返し
安曇郡佐野の
かたへ通り有明山
の哥ありとなん
聞えし
Book
善光寺道名所圖會卷之四
【無し】
Book
善光寺道名所圖會卷之五
Section
出浦郷別所名所舊蹟 中世海部郷と云
Subtitle
西行戻橋
Description
【茎】
【くき】
冬くだ立夏枯といふ俚言あり
Section
小縣 海野
Description
七町程相対して巷をなす民家多し町中に溝ありむかし木曽殿の
侍宇野平四郎幸氏といふ者住居の地也田中へ十八丁なり小坂多し
Figure 5021-5022
白鳥社
Description
石華表
同額の
文字
白鳥宮
「新古今」
西行
宮はしらしたつ岩ねにしきたてゝ露もくもらぬ日のみかけかな
Subtitle
白鳥宮
Description
【略】
「文治三年夏当社に詣てゝ」
西行法師
罪咎をあらひ流していさきよき清き海野やにこりなからん
【略】
Section
佐久 小諸
Description
追分宿へ三里半牧野候居城(乙女が城といふ)城下の町凡弐十五六丁
相對して巷をなし猶小路多く家数千餘是より十八丁脇に諸村といふあ
り其村より出て小諸なり(小室共書く)【以下略】
Subtitle
○
Description
布引山釋尊寺膜巌院と号す(天台宗属東叡山)神亀元年行基僧正の開
基なり
【略】
・・・本堂の前へ帰り石階を下りて岩屋あり(奥行五間巾八間)其外
面に西行の石像と開山の宝塔並建苔むしたるに蔦葛延纏へり俚諺に西
行法師諸国遊歴の砌此岩屋に三年杖を留られしといひ慣せり其石像の
臺に歌を穿つ
みとせへて折/\さらす布引をけふたちそめていつかきてみむ
開山塔之文字
天平五癸酉天
當山開基行基大菩薩
四月佛\石カケテ不知
又外に句碑有
芭蕉翁
蝙蝠も出よ
浮世の花に鳥
【略】
「名寄」
長明
嵐ふく雲のはたてのぬきをうすみむらきえわたる布引の山
此哥秋の寝覚には伊勢とあり
西行
望月のみまきの駒は寒からし布引山をきたとおもへは
望月驛は中山道にて是より三里南の方に當ればなるべし
Figure 5028-5029
End
底本::
書名: 善光寺道名所圖會
発行: 嘉永二年
著・画: 豊田利忠
補画: 小田切春江
翻刻::
翻刻者: 新渡戸 広明(nitobe@saigyo.net)
入力::
入力者: 新渡戸 広明(nitobe@saigyo.net)
入力機: SHARP Zaurus MI-E21
編集機: IBM ThinkPad X31 2672-CBJ
入力日: 2006年03月12日
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