Title 都名所図会  Book 巻之一 平安城 首 【無し】  Book 巻之二 平安城 尾 【無し】  Book 巻之三 左青竜  Subtitle 霊鷲山正法寺  Description  は往昔、伝教大師の開基にして、山門の別院なり。中興国阿上人 住みたまひて宗旨を時宗と改む。本堂は釈迦仏を安置す。阿弥陀堂 の本尊は歯仏と称す(この阿弥陀仏は笑ひたまふ相好にして、御口 よりむかふ歯見ゆるゆゑ、世に歯仏の如来と号す)。天照太神宮は 本堂の東廊下の上にあり(山下の念仏堂は法然上人住みたまひて、 別時念仏を修したまふ旧跡なり)。  それ国阿上人は大菩提心にして慈悲ふかく、つねに伊勢太神宮へ あしだ2】 足駄をはきて参宮す。あるとき道中に女の骸骨あれば、これを憐れ                      【ため1】 みて葬り通りたまへり。太神宮化して上人の心を例したまひ、「慈       【じゅうえ2】 悲心より出でし重穢はくるしからず」と神勅あれば、やすやすと参                 【かどで2】 宮したまふ。かるがゆゑに参宮の人は首途のまへ、当寺に参りぬれ      【のが1】 ば忌み穢れを退るるとぞ。当山の坊舎はみなみな絶景なり。洛陽の 万戸、鴨川・大井川の二流、愛宕。あらしの峰々、淀・山崎の通船       【いながら1】 まで、書院より坐にして眼の下に遮る。洛中の集会・遊筵はこの院 々を借りて饗応す。  歌集     【りょうぜん2】  雪の朝、霊山と申すところにて、眺望を人々読みけるに                西行 たけのぼる朝日の影のさすままに都のゆきは消えみきえずみ  Subtitle 金玉山双林寺  Description  は高台寺の北にあり。古へは天台宗の別院にして、伝教大師の開 基なり。至徳年中、国阿上人移住して時宗と改む。本尊は薬師如来 にして、伝教大師の作なり。鎮守は天照太神宮、東の丘にあり。  西行の庵・西行の塔あり。このところに幽居したまひ、建久九年 二月十五日に入寂したまふなり。当寺の桜は西行法師植ゑたまひ、 つねに愛したまふとぞ。性照の塔は平判宮康頼入道なり。このほと りに山荘ありて、遠流より帰洛の後、やがてここに籠居して、うか りし昔を思ひやり「宝物集」といふ物語を書きけるなり(康頼、浮 世に尊む宝をあつめて弁じ、「真の宝は仏の道よりほかなし」と諸 経を引いて仏教に入らしむるの書なり。三巻あり)。頓阿の塔あり。 はじめ四条道場金蓮寺にすんで、後は双林寺に閑居し寂したまふ (「艸菴集」はこの地にて撰したまひしといふ)。  当寺の院々も風景ありて洛陽交游の勝地なり。春秋ともに酣歌の 声、間断なし。  近年都鄙の騒人、文塚となづけ、この地に墳塋をいとなむこと多 し。洛東の佳境を費やし、墳寺となすこと薄行の至りにして、おほ いなる不韻なり。  Figure 2080-2081 金玉山双林寺  Description  西行上人住み侍りける双林寺といふところに庵むすびてよめる  「草庵」                頓阿 あとしめて見ぬ世の春を忍ぶかなそのきさらぎの花の下陰  Subtitle 大原  Description  は八瀬の北一里にあり。若狭街道にして東西に八つの郷あり(端 戸寺村・上野村・大長瀬村・来迎院村・勝林院村・井出村・野村・ 草生村)。  「新古」                式子内親王 日数ふる雪げにまさる炭竈の煙もさびし大原の里  「新勅」                西行 大原はひらの高ねの近ければ雪ふるほどを思ひこそやれ  Subtitle 音無しの滝  Description  は来迎院の東四町にあり。飛泉二丈余にして翠岩に傍ふて南へ落 つる。蒼樹おう欝として陰涼こころに徹し、毛骨悚然として近づきが たし。  「夫木」                西行 小野山のうへより落つる滝の名の音なしにのみぬるる袖かな  Book 巻之四 右白虎  Subtitle 愛宕山のやしろ  Description  は王城の乾にして、朝日岳白雲寺と号く。一の鳥居より坂善五十 町ありて、はじめに試みの峠あり。清滝川・渡猿橋・火燧ちの権現 は十七町目にあり。樒が原は比の麓にして、 南星峰とは乾のかたの嶺をいふ。鉄の華表の額は表を「朝日山」、 裏を「白雲寺」と書す(ともに竹裏良恕法親王の筆なり)。  「新古」                西行法師 降りつみし高ねのみ雪解けにけり清滝川の水の白波  同                権中納言国澄 岩根こす清滝川の早ければ波をりかくる岸の山吹  「堀川百首」                顕仲 時雨れつつ日数ふれどもあたご山樒が原の色はかはらず  本殿は阿太子山権現にして、祭るところは伊弉冊尊・火産霊尊な り。本地は将軍地蔵を垂跡となし、帝都の守護神として火災を永く 退けたまふなり。久代は鷹が峰のほとりにありしを、光仁天皇の御 宇天応元年に慶俊法師この山をひらきて勧請したまふ(一説には天 竺の日羅・唐土の是界・日本の太郎坊、この三鬼は衆魔の大将なり。 文武帝の御宇大宝元年、役小角・泰澄の両聖人、かの悪鬼を退治せ んとて、当山の幽谷般若の石屋に籠りて霊験を祈る。愛宕山はつね に黒雲靉いて絶えず。両聖人山頭に登るに黒雲たちまち変じて白雲 となる。ゆゑに白雲寺となづく。その石屋の中に地蔵・竜樹・布留 那・毘沙門天、おのおの出現したまふ。訶字の尊像は甲冑を帯し、 将軍の形を現じたまふなり。当社の建立は勅を蒙りて和気清麿いと なみしとぞ)。  例祭は四月中の亥の日にて神輿二基あり。嵯峨清涼寺の鎮守を御 旅所として、野々宮に振りて神供を備ふ(これを嵯峨まつりといふ)。 六月二十四日は千日参りとて宵より群集し、月ごとの縁日にも老人 は皿竹輿をかりて扶けられ、婦人・童子のわかちもなく、万仞の嶮 しきをいとはず、坂路の茶店に休らへば、白雲目の前を横たふ。あ るいは土器なげに興じて足の重きを忘る。そもそも山城国一、二に 列なる高山にして、炎暑の折も峰寒し。道は嶮難たりといへども、 つねに詣人おほく賑はしきも、ただ権現の威徳ぞかし。  Subtitle 小倉山二尊院  Description  は愛宕の南にあり。宗旨は(天台・真言・律・浄土)四宗の兼学 なり。  「風雅」                俊成 小倉山麓の寺の入相にあらぬ音ながらまがふかりがね  「続後撰」                順徳院 小ぐら山すそのの里の夕霧に宿こそ見えね衣うつなり  「新千載」                鎌倉右大臣 夕されば霧立ちなれし小倉山やまのと陰に鹿ぞ啼くなる  「新古今」                西行 小ぐら山ふもとの里に木の葉ちれば梢にはるる月をみるかな  当院の本尊は釈迦・阿弥陀の二尊なり。立像にして発遣来迎の相 をあらはせり。念仏堂には法然上人の影を安置す。中門の額は後柏 原院の宸筆にして「小倉山」とあり。本堂の額「二尊教院」は後奈 良院の宸翰なり(いにしへの額は小野道風の筆にして、「二尊教院」 と書して四足門にかくる。しかるに門前の池より夜々霊蛇登りて額 の文字を嘗める。これを防がんために額のかたはらに不動の像を書 かせけれども、いまだ止まず。正信上人かの蛇の執を救はんために、 みづから円頓戒の血脈を書きて池にしづめらる。しかるに、かの池 より千重の白蓮花一もと生ず。これぞまことに竜女成仏の証なりと て、かの花をとりて什宝とす。いまにあり。池の汀の弁才天の社は 竜女を勧請しけるなり)。  当院は嵯峨天皇芹河野に行幸のとき、ならびなき勝地なりとてこ のところをひらきたまひ、華台寺ならびに二尊院と号せり。それよ り連綿として無双の霊場となる。その芳躅をしたひ、醍醐帝の皇子 兼明親王このほとりに山荘を営み、雄蔵殿と称す。その後星霜かさ なりて中興法然上人閑居したまひ、元久元年十一月七日、一宗機範 の式七ヶ条の起請文を制せられ、自筆を染めて判形をすゑらる。当 院第二世信空上人をはじめ西山上人等百八十九人起請に同ぜらる。 おのおの自筆に名を書かれけり(熊谷二郎直実も九十人目に出でて、 法名を蓮生としるす)。  また神変の舎利を安置す(法然上人この舎利につきて式を作りて 曰く、「仏子牟尼の遺教によりて浄土の一門を信じ、毎日七万遍の 念仏を修してすでに多年の星霜をつむ。順次往生の望みいまたのみ あるものか。これ釈尊の恩徳なり。もつとも報謝すべし」とぞ書か れけり)。 【以下略】  Subtitle 西行法師の庵の跡  Description  は長のやしろの南にあり。  「山家」 わがものと秋の梢を思ふかな小倉の里に家居せしより  Subtitle 歌詰の橋  Description  は天竜寺のまへ、芹川の流れにかくる橋なり。西行法師このとこ ろを通りたまひしとき、奇童に逢ふて和歌の贈答数首あり。後に西 行返歌につまりしより号くるとぞ。  Subtitle 西行桜  Description  (法輪寺の南にあり。西行法師このところに住みて桜元庵と号す。 いまの証菩提院これなり。西行田といふ字の田地この辺にあり。宗 祇法師このほとりに往みし由、「磧礫集」に見えたり)。  Subtitle 山塩山勝持寺  Description  は春日社の西北にあり(花の寺といふ)。宗旨は天台にして、本 尊は薬師如来(伝教大師の作)、本堂の額は小野道風の筆。当寺は じめの開基は役行者にして、自作の不動明王を本尊とし、大原寺と 号す(不動尊、いま堂内に安置す(文徳天皇、仏陀上人を御帰依あ りて、伽藍をいとなみたまひしなり)。岩窟の石不動は弘法大師の 作なり。  西行法師像・西行桜(堂前の左右にあり)。西行の菴室(山上三 町ばかりにあり。当山の境内に桜多し。盛りの頃は都下の貴賤ここ に来つて終日花の陰にて歌よみ、西行の霊を慰むるも多し)。 【以下略】  Book 巻之五 前朱雀  Subtitle 城南離宮  Description  は白川上皇(1053−1129)、寛治元年(1087)に造営ありて遷りたま ふ仙居なり(旧地は芹川の北より竹田の里を限りとす。御所の南北 に門ありて、御殿は東面なり。門前は鳥羽街道にして淀に至る。い まの道は後世作るなり。御所の地多く田の字とす)。  北殿・南殿・田中殿・馬場殿・車殿等の名あり。池の広さは南北 八町、東西六町にして、蒼海を摸して中に島を作り、蓬莱山を築い て厳を畳み、舟を泛べて帆を飛ばし、烟浪渺々と悼を飄して碇を下 ろし、春は花の陰にて、里人に牛車を永くゆるしたまふ。  また鳥羽院(1103-56)には宸書の法華を講じ、安楽寺院の定海 (1074−1149)に命じて孔雀明王の法を修せしむ。されば法皇崩じて たちまち保元の乱れ(1156)となり、後白河院(1127−92)はこの宏に 蟄し、それより次第に荒廃してつひに田野とぞなりにける。  「新続古」〔「風雅集」〕                円位法師〔西行〕 なにとなくもの悲しくぞ見えわたる鳥羽田の面の秋の夕暮れ  Subtitle 西行寺  Description  は不動院の北、西側にあり。鳥羽院の離宮ありしとき、このとこ ろに住みし宅地なり(月見の池・剃髪の塔、庵室のまへにあり。竹 田村の郷土長谷川氏は西行法師(1118−90)の苗孫なりとぞ                舜福 西へ行く日かげに動く案山子かな  Subtitle 笠取山  Description  (醍醐のひがしなり。民村多し。巽の峠に山城・近江の国界あり。 岩間寺は国堺より三町ばかり東にあり。石山寺はこれより一里東な り)。  「夫」〔「夫木和歌抄」〕                西行 正木わるひだのたくみや出でぬらん村雨はれぬ笠取の山  「風雅」                頼基 笠取の山をたのみしかひもなく時雨に袖をぬらしてぞ行く  Subtitle 伏見  Description  いにしへは隴々たる野径にして、ところどころに民村あり。秀吉 公御在城より大名屋舗・諸職工人・賈人軒端をつらね、町小路に市 をなし、都へ貨物を通じて交易をなしけり(野・山・里・沢・田な ど故人和歌に詠ず)。 山  「新古」                俊成 ふし見山松のかげより見わたせば明くる田の面に秋風ぞ次く  「新後撰」                慈鎮 哀れにも衣うつなりふし見山松風寒き秋のね覚めに 里  「新古」                有家 夢かよふ道さへ絶えぬ呉竹のふしみの里の雪の下折れ  「新勅」                俊成 朝戸明けてふしみの里をながむれば霞にむせぶ宇治の河波  「続千」                式子内親王 荒れにけるふしみの里の浅ぢ原むなしき露のかかる袖かな 野  「新続古」                藤原道信 女郎花花の下紐うちとけてたれとふしみののべに咲くらん 田井  「新千」〔「新千載集」〕                読人しらず 呉竹のふしみの田井のかりのよに思ひしらでや守り明かすらん  「玉葉」  あひしりて侍りける人の、伏見にすむと聞きて、尋ねまかりけ  るに、庭の草道も見えずしげりて、虫の啼きければ                西行 分けて入る袖に哀れをかけよとて露けき庭に虫さへぞ鳴く  Book 巻之六 後玄武  Subtitle 八塩の岡  Description  はむかしおほくの楓茂りて、秋のすゑ紅葉すること蜀錦を翻すに ことならず、いまは北の尾崎に少し残る。  Figure 3227 八塩岡  Description  「夫木」                西行 岩くらや八しほ満ちたるもみぢ葉を長谷川にをしひたしたる  Subtitle 鳴滝  Description  は仁和寺の西にあり。このところは砥石の名産なり。  「山家」                西行 しばしこそ人めつつみにせかれけれはては泪やなる滝の川  Book 拾遺巻之一 平安城 【無し】  Book 拾遺巻之二 左青竜  Subtitle 芭蕉堂  Description  (双林寺の境内、西行庵の西にいとなみしなり)。  「山家集」  いにしへごろ、ひがし山にあみだ房と申しける上人の菴室にま  かりてみけるに、哀れとおぼえてよみける                西行法師 柴の庵ときくは賤しき名なれども世にこのもしき住まひなりけり  「小文庫」  このうたは、ひがし山にすみける僧をたづねて西行のよませたま  ふよし、「山家集」にのせられたり。いかなる住居にやと、まづ  その坊なつかしければ、               はせを 柴の戸の月やそのままあみだ坊  芭蕉翁肖像(ここに安置す。木像八寸ばかり。この影像は、ばせ をの翁の愛したまふ桜樹のありしを、歿せられし後のとし、門葉の 五老井許六といふ人きざみたまひ、大津の智月尼といふに与ふ。か の文に見ゆ。それより智月の従者宗寿尼といふもの貰ひ、わが故郷 越の方へ持ちかへり、越中の国の農家にありて年久しく煤挨に黒み ありしを、高岡金屋氏の手にわたり、その後富山の医生橘氏といふ 人これを乞ふて、文とともに伝来しけり。その后、加賀の金府の吉 良が方へさづかりける。このものはいまの半化房の門人なるゆゑ、 亡命の後遺言により半化房の許に遷しける。しかあれば、芭蕉翁の このほ句を基として、ここにばせを堂をいとなみ安置しけるなり。 その側らに南無菴といふあり。これもこの発句の謂ひによりて名づ けしなり。これなん半化房闌更が舎なりけり。その許六が文に曰く)  御ゆかしき節、せうそこ御無事のよし目出たく存じ候ふ。  拙者いまだすきと御座なく候ふ。像も延引に及び候ふ。  この度扇もてにふれられし五老井の古木にて刻みまゐら  せ候ふ。別紙も添へ、兼ねて大きなる像刻みたき望み御  座候へども、病気にてかなひがたく候ふ。なほまた、御  意を得べく申し入れ候ふ。           不備   十月三日                許六 霜ののち像に添ゆべき菊もなし   知月尼  芭蕉翁の碑(双林寺の内、西行の塔の側らにあり。美濃の東華坊 支考これを書して建てられしなり。毎歳三月十二日、墨直しといふ ことあり。獅子庵の支流廬元・呉竹・再和などの門派の人々、美濃 より上洛して碑文の墨を修補し、当山において俳筵を催しけるなり。 その碑文に曰く)   わが師が伊賀の国に生まれて、承応の頃より藤堂の家  につかふ。その先は桃地の党とかや。いまの氏は松尾な  りけり。年まだ四十の老をまたず、武陵の深川に世を遁  れて、世に芭蕉の翁とは人のもてはやしたる名なるべし。  道はつとめて今日の変化をしり、俳諧は遊びて行脚の便  りを求むといふべし。されば松嶋は明ぼのの花に笑ひ、  象潟はゆふべの雨に泣くとこそ。富士・よし野の名に対  して、「われに一字の作なし」とは、古へをつたへいま  ををしふるの辞にぞ。漂泊すでに二十とせの秋暮れて、  難波の浦に世をみはてけん。その頃は神無月の中の二日  なりけり。さるを湖水のほとりにその魂をとめて、かの  木曽寺の苔の下に、千歳の名は朽ちざらまし。東華坊こ  こにこの碑を造ることは、頓阿、西行に法筵を結びて、  道に七字の心を伝ふべきとなり。 あづさ弓 武さしの国の 名にしあふ 世に墨染めの 先にたつ 人にあらずに ありし世の 言の葉はみな 声ありて その玉川の みなかみの 水のこころぞ 汲みてしる 六すぢ五すぢ たてよこに 流水てすゑは ふか川や この世を露の おきてねて その陰たのむ その葉だに いつ秋風の やぶりけむ その名ばかりに とざしおきぬ 春をかがみの 人も見ぬ 身を難波津の 花とさく はなの鏡に 夢ぞ覚めぬる  背文 維匠不言 謎文以伝  Figure 4222-4223 高台寺萩の花  Description  西行法師、宮城野の萩を慈鎮和尚に奉りし、その萩いまに残り侍 りしを、草庵にうつしうゑ侍りし。花の頃、その国の人きたり侍り しに                宗祇 露けさややどもみやぎ野萩の花                はせを 小萩ちれますほの小貝こさかづき  Book 拾遺巻之三 後玄武・右白虎  Figure 5016 とめこかしの梅  Description 西行上人とめこかしの梅は 上加茂の堤の南西念寺 といふにあり此所堤の 下にて地形低により世に 窪寺ともいふ  「新古今」                西行法師 とめこかし梅さかりなるふか宿をうときも人はをりにこそよれ  Subtitle 静原  Description (ちまたの辻より十町余にあり。このところ山間にして、南北にわ たり人家多し)。  「山家集」                西行 山がつの住む方みゆるわたりかな冬にあせ行く静原の里  Subtitle 須美社  Description (同所、北の端より二町ばかり南、民家の西にあり。祭神未考。例 祭は三月十日。この日柴野今宮のやすらひ花の祭りは、当社におい てまづ勤めて、その後今宮に到るなり。すなはち当所の土人これを 勤むるなり。一説に、この祭りいにしへ高雄山法華寺の縁により起 こるといふ。委しくは前編に見えたり。「夫木集」西行法師和歌あ り)。 【「夫木集」】               【西行】 高雄山あは山なりけるつとめかなやすらひ花と鼓うつなり  Subtitle 西行法師菴の跡  Description (二尊院中門のひがし、運善院の南、薮の内にあり)。  「山家集」                西行 をじか鳴く小倉の山のすそ近みただ独りすむわが心かな  Subtitle 法輪寺  Description (由緑前編に見えたればここに略しぬ。地境の画図は、景色を書き たれば委しからず。ゆゑにその図を起こしてここに顕す)。  そもそも、この地はいにしへより桜花かずかずありて、弥生のさ かりには都下の騒人ここに詣し、あるは大堰の川辺にやすらひて、 酒をすすめ、渡月橋の行人筏を下す。春のしがらみ、また秋はあら しの山の紅葉ば、戸灘瀬の滝・千鳥が淵・小督が塚・西行桜・轟の 橋、まことに美景鈴りょうとして、ながめ足らずといふことなし。  「家集」  法輪に籠りたる頃、人の問ひ来つて帰りなむとするに                兼好 もろともに聞くだにさびし思ひおけ帰らん宿の峰の松風  Figure 5107 西行桜  Description  法輪寺の南にあり。  「新古今」                西行法師 ながむとて花にもいたく馴れぬればちるわかれこそ悲しかりけれ  Book 拾遺巻之四 前朱雀  Subtitle 御所内  Description (城南神の南、中嶋のひがし三町ばかりの地の字なり。これすなは ち白河院・鳥羽院の両帝仙居したまふ、城南離宮南殿の旧跡なりと ぞ。北殿はいまの安楽寿院の地なり。また中嶋村民居一町ばかり艮 の方に、一壇高き地あり、字を高畠といふ。いにしへ仮山の地なり。 また、このところのひがしに御池といふ字のところあり。いにしへ の池にして、いま水涸れて田畑となる。土人曰く、七、八十年以前 土中より船の形の朽ち木を掘りせしといふ。そのほか、竜頭・前山 ・平門・院馬場・菖蒲池・泉水等の字あり。これみな離宮の旧跡な り。余は前編に見えたり)。  「千載」  鳥羽殿におはしましける頃、つねに花を見るといへる心をつか  うまつりけるついでに、読ませたまひける               白河院 咲きしより散るまで見れば木のもとに花も日数も積もりぬるかな  「千載」  わづらはせたまふけるとき、鳥羽殿にて時鳥の鳴きけるを聞か  せたまふて、読ませたまふける                鳥羽院 常よりもむつまじきかな郭公しでの山路の友と思へば  「山家集」  鳥羽殿の南殿の東西の坪に、所なきほどに菊植ゑさせたまひけり。  公重少将、人々すすめて菊もてなさせけるに、くははるべきよし  ありければ                西行 君が住むやどの坪には菊ぞかざる杣の宮とやいふべかるらん  「千載」  建永元年八月十五夜、鳥羽殿に御幸ありて、御舟にて御遊な  どありける月の夜、和歌所のをのこども参れりけるよし聞こ  し召して、いたさせたまひける                後鳥羽院 いにしへも心のままに見し月の跡を尋ぬる秋の池水  鳥羽殿の門は南北にありて、御所は西面にして羅城門より山崎に 至る往週道なり。その西に舟着きあり。これより神崎・大物浦にい たる。この下流は鴨川・桂川の末なり。またこのほとりに洲浜殿と て新大納言成親卿の別荘あり。この人、俊寛僧都などと叛逆の企て ある由あらはれて、左遷のときここより舟に乗りたまふ。「平家物 語」曰く、「鳥羽殿を過ぎたまふにも、この御所へ御幸なりしには、 一度も御供にははづれざりしものをとて、わが山荘洲浜殿とてあり しをも、余所に見てこそ通られけれ。鳥羽の南の門出でて、舟遅し とぞ急がせける」。  Subtitle 西行寺  Description (不動院の北にあり。鳥羽院北面佐藤兵衛憲清、このところに別館 を賜つて鳥羽の仙院へ昵近す。保元元年七月二日、鳥羽院崩御の後、 ここにて落髪したまひ、西行法師と号す。剃髪塔あり。以上寺説な り。本尊は阿弥陀仏の坐像を安置す。また西行上人、同侶西住上人 の両像、ともに厨子に安ず。また西行上人の念持仏、地蔵尊を安ず。 定朝の作にして立像一尺八寸、火災除滅の応験ありとて火消し地蔵 と称す。いま浄土宗の僧守る)。 【以下略】  End  底本の親本::   書名:  都名所図会   発行:  安永九年   著者:  秋里籬島   画 :  竹原春朝斎  底本::   書名:  都名所図会1−5   発行所: 株式会社 筑摩書房   発行日: 1999年02月10日−1999年06月10日   校訂:  市古夏生・鈴木健一  翻刻::   翻刻者: 新渡戸 広明(nitobe@saigyo.net)  入力::   入力者: 新渡戸 広明(nitobe@saigyo.net)   入力機: SHARP Zaurus MI-E21   編集機: IBM ThinkPad X31 2672-CBJ   入力日: 2006年03月11日 $Id: zue_miyako.txt,v 1.9 2019/07/09 02:30:53 saigyo Exp $