Title  御裳濯河歌合 三十六番歌合 判者 俊成  Author  西行 并 俊成  0001:  一番   左 持 山家客人 岩戸あけしあまつみことのそのかみに櫻を誰か植ゑ初めけむ  0002:   右   野徑亭主 神路山月さやかなる誓ありてあめが下をば照すなりけり   豐葦原の國の習ひとして、難波津の歌は人の心をやはらぐる媒と成りにければ、これを詠まざる人はなかるべし。しかはあれども、よしとは如何なるをいひ、惡しとは何れを定むべきとは、我も人も知る所にあらざるものなり。その故は青によし奈良の都の時えらび置かれたる萬葉集は世もあがり、人の心も及びがたければ暫くおく。それよりこのかた紀貫之、凡河内躬恆等撰める所の古今集をこそは歌のもとゝは仰ぐべき所なるを、同じき集のうちに、歌をも或は繪にかける女に譬へ、萎める花の匂殘れるによそへ、或は商人のよき衣を着たるといひ、田夫の花の陰に休めるが如しといへり。これらの心を思ふに、撰集はさまざまの歌の姿をわかず、そのすぢにとりてよろしきをばとり選べるなるべし。彼の時より後、四條大納言公任卿さまざまの歌の道をみがきて、或は十あまり五つがひの歌を合せ、或は三十あまり六つがひの歌人をたゝかはしめ、九しなの歌を定めたり。これら則ち多くは古今集のうちの歌を、或は上が上品にあげ或は下が下品におけり。これらの類は疑の心もむすぼゝれぬべけれども、先達のよしあしをいふにつけては、その境に入らざる程を知らるゝものなり。心詞及ぶ所にあらず。今の世の人は歌のよしあしを言はむにつけて、境に入り入らざる程を知らざるものなり。抑歌合といふものは上古にも有けむをしるし傳へざりけるにや。亭子御門の御時よりぞしるしおかれたれど、或時は勝負をつけられず、或折は勝負をばつけながら、判の詞はしるされず。村上の御時天徳の歌合よりぞ、判の詞書しるされてより後、永承々暦等の内裏歌合ならびに私の家々に至るまで、勝負をつけしるすことになりにけり。これによりて今の世に及ぶまで、或は佛亊によせて結縁と稱し、或は靈社によせて神感をかこちて番をむすび、判を請しむる間、且は今の愚老に至るまで、かたの如くふるきあとをまなびつゝ、及ばぬ心にまかせて、勝負を定むること既に數なくなりにけむ。つらつらこのことを思ふに、且は此道の先賢のなきかげにも見思はれむこと、その恥かぎりなし。いかにいはんや住吉の神よりはじめ奉りて、照しみそなはすらむこと、その恐れいくばくぞや。然るのみにあらず、齡かたぶき老にのぞみて後は、朝に見ることは夕には忘れ、夜半の莚に思ふことを曉の枕にはとゞむることなければ、舊時の證歌今の世の諸作見ること聞くこと、一つも心に殘ることなし。よりて近き年よりこのかた長くこのことをたち終りにたれども、上人圓位壯年の昔より互に己を知れるによりて、二世の契りを結びをはりにき。おのおの老に臨みて後、かの離居は山川をへだてたりと雖も、昔の芳契は旦暮に忘るゝことなし。そのうへ是はよの歌合の儀にはあらざるよし強ひて示さるゝ趣を傳へ承るによりて、例の物覺えぬ僻亊どもをしるし申すべきなり。さてもかやうのことのついでにあはれに思ひつゞけられ侍ることもとゞめ難くてなむ。昔天永長承の頃ほひより、かたの如くこの道にたづさひて、或時は藐姑射の山の花の下に連り、或時は雲井の月の前に皆見なれし輩、今は皆むかしの夢にのみなりぬる世に、人の數にもあらず侍れば、桑門の捨人となりながら、今まで世にながらへてかやうのすゞろごとをも書付け侍るにつけて、竹の窓の露しげく、苔の袂もしぼりあへがたく侍るを、かる藻屑のみだれたる言の葉ながら、かけまくもかしこき神風のつてに御裳濯川の汀、たまくしのはのかげも散り侍らば、大内人の中にも自ら露のあはれはかけられ侍らむや。   一番のつがひ、左の歌は春の櫻を思ふあまりに神代のことまでたどり、右の歌は天の下を照す月を見て神路山の誓を知れる、心ともに深く聞ゆ。持とすべし。  0003:  二番   左 持 神風に心やすくぞまかせつる櫻の宮の花のさかりを  0004:   右 さやかなる鷲の高嶺の雲井より影やはらぐる月讀のもり   左の櫻の宮、右の月讀のもり、又勝劣なし。なほ持とす。  0005:  三番   左 勝 おしなべて花の盛に成りにけり山の端ごとにかゝるしら雲  0006:   右 秋はたゞ今宵ひとよの名なりけり同じ雲井の月はすむとも   左の歌麗はしく、たけ高く見ゆ。右の歌も姿いとをかし。十五夜の月をめづる餘りに、今宵ひとよの名なりけりといへる心ふかしと雖も、なほ殘りの秋を捨てむこといかゞ聞ゆ。左こともなくうるはし。勝とや申すべからむ。  0007:  四番   左 持 なべてならぬ四方の山邊の花はみな吉野よりこそ種は取りけめ  0008:   右 秋になれど雲井の影のさかゆるは月のかつらの枝やますらむ   左右共に心ありては聞ゆ。但、左初の句、右の中の五文字殊に歎美の詞には非ずやあらむ。持なるべし。  0009:  五番   左 持 思ひかへすさとりや今日はなからまし花に染めおく色なかりせば  0010:   右 身にしみて哀しらする風よりも月にぞ秋の色はありける   左のさとりや今日はなからましといひ、右の月にぞ秋のといへる、心姿共にをかし。又持とす。  0011:  六番   左 春をへて花の盛にあひみつゝ思出おほき我身なりけり  0012:   右 勝 うき身こそ厭ひながらも哀なれ月をながめて年をへにけり   左右の歌、春の花、秋の月は異なりと雖も、歌の心は同じすぢなるを、思出おほきといへるよりは、月をながめて年のへにけりといひすてたるは、今少しまさり侍らむ。  0013:  七番   左 持 ねがはくは花のもとにて春死なむその如月の望月のころ  0014:   右 來む世には心のうちに顯はさむあかでやみぬる月の光を   左の花のもとにてといひ、右の來む世にはと言へる心は共に深きにとりて、右はうちまかせてよろしき歌の體なり。左はねがはくはとおきて、春死なむといへる、麗はしき姿にはあらず、この體にとりてかみしも相叶ひていみじく聞ゆるなり。さりとて深く道に入らざらむ輩はかく詠まむとせば、かなはざること有りぬべし。これはいたれる時のことなり。姿相似ずと雖も、なずらへて持とす。  0015:  八番   左 勝 花にそむ心のいかで殘るらむすてはてゝきと思ふわが身に  0016:   右 更にける我が世のかげを思ふまに遙に月のかたぶきにけり   右の歌いとをかし。但、左歌なほこともなくて宜し。勝とや申すべき。  0017:  九番   左 持 吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ  0018:   右 月を待つ高嶺の雲は霽れにけり心あるべき初時雨かな   こぞのしをりのと言ひ、高嶺の雲といへる、姿心ともにをかし。持とすべし。  0019:  十番   左 勝 吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらむ  0020:   右 ふりさけし人の心ぞ知られける今宵三笠の月をながめて   今宵三笠のとおける、詞はいと優に聞えたり。ふりさけしといへる初の句やいかにぞ聞ゆらむ。左歌こともなく宜し。勝とや申すべからむ。  0021:  十一番   左 立ちかはる春を知れとも見せがほに年をへだつる霞なりけり  0022:   右 勝 岩間とぢし氷も今朝は解けそめて苔の下水みちもとむらむ   左歌姿心相かなひて見ゆ。但、見せがほにといふ詞は我も人も皆よむことなり。さはありながらなほ歌合などには控ふべきにやあらむ。且は歌のさまによるべし。右歌心詞なほをかし。勝と申すべきにや。  0023:  十二番   左 勝 色つゝむ野邊の霞の下萠えて心をそむる鶯の聲  0024:   右 とめ來かし梅さかりなる我宿をうときも人の折りにこそよれ   左右春の歌、共に艷なるにとりて、右は今すこしをかしき樣に見ゆるを、左歌詞はいひとぢめぬ樣ながら心なほをかし。今少しまさるとや申すべからむ。  0025:  十三番   左 山がつの片岡かけてしむる野のさかひに立てる玉の小柳  0026:   右 勝 ふり積みし高嶺のみ雪とけにけり清瀧川の水の白波   左歌さることありと見る心地して、めづらしき樣なり。末の句のをの字やすこしいかゞ。さもよみて侍るかとよ。右歌姿おもしろく見ゆ。まさると申すべし。  0027:  十四番   左 持 つくづくと物おもひ居れば郭公心にあまる聲きこゆなり  0028:   右 うき世思ふ我かはあやな時鳥あはれこもれるしのびねの聲   兩首の子規の聲ともに心こもりてよき持なり。  0029:  十五番   左 鶯の古巣より立つほとゝぎす藍よりも濃き聲の色かな  0030:   右 勝 きかずとも爰をせにせむほとゝぎす山田の原の杉のむら立   古き歌合の例は、花を尋ぬるにも、見たるをまさるとし、ほとゝぎすを待つにも聞けるを勝とすることなれど、是は唯歌の勝劣を申すべきなり。藍よりもこき心をかしくは聞えながら、又折々人よめることなるべし。山田の原といへる心詞風俗の及びがたきに似たり。勝と申すべし。  *爰(ここ)  0031:  十六番   左 勝 ほとゝぎす深き峯より出でにけり外山のすそに聲のおちくる  0032:   右 五月雨の晴れ間も見えぬ雲路より山郭公鳴きて過ぐなり   右歌難とすべき所なく、たけ高く聞ゆ。左歌時鳥深き峯より出でゝ、外山のすそに聲の落ちけむ、今まさしく聞く心地してめづらしく見ゆ。勝とや申すべからむ。  0033:  十七番   左 勝 あはれいかに草葉の露のこぼるらむ秋風たちぬ宮城野の原  0034:   右 七夕の今朝の別の涙をばしぼりやかぬる天の羽衣   左右の初秋の歌共に艷なるべし。但、右歌はかやうの心聞きなれたるべし。左宮城野の原思ひやれる心なほをかしく聞ゆ。まさるべくや。  0035:  十八番   左 勝 大かたの露には何の成るやらむ袂におくは涙なりけり  0036:   右 心なき身にも哀は知られけり鴫立つ澤の秋の夕暮   鴫立つ澤のといへる、心幽玄に姿及びがたし。但、左歌露には何のといへる詞、あさきに似て心殊に深し。勝と申すべし。  0037:  十九番   左 勝 あし曳の山陰なればと思ふまに梢につぐる日暮の聲  0038:   右 山里の月待つ秋の夕暮は門田の風の音のみぞする   左歌梢に告ぐるといへる心深く故ありて聞ゆ。但、思ふまにといへる詞ぞ又人常によむことなれど、猶思ふべくやと覺え侍る。かやうのことは人かへりて笑うべきことなり。然れども一身思ふ所をついでに申し出るなり。右歌は難とすべき所なくは見えながら、又人よみつべきことにや。猶左の末句の心まさると申すべくや。  0039:  二十番   左 長月の月の光の影ふけてすそ野の原に牡鹿鳴くなり  0040:   右 勝 月見ばと契りおきてし古里の人もや今宵袖ぬらすらむ   裾野の原にといへる心深く姿さびたり。但、人もや今宵といへる、詞をかざらずと雖もあはれ殊に深し。右猶まさるべし。  0041:  二十一番   左 持 きりぎりす夜寒に秋のなるまゝに弱るか聲の遠ざかりゆく  0042:   右 松にはふまさの葉かづら散りにけり外山の秋は風すさぶらむ   左右共に姿さび、詞はをかしく聞え侍り。右のまさの葉や少しいかにぞ聞ゆれど、外山の秋はなどいへる末の句優に侍ればなほ持と申すべくや。  0043:  二十二番   左 勝 霜さゆる庭の木の葉を踏み分けて月は見るやと訪ふ人もがな  0044:   右 山川にひとりはなれて住む鴛鴦の心知らるゝ波の上かな   右歌もいみじく艷には聞ゆれど、左歌なほ心姿殊に宜し。勝と申すべし。  *鴛鴦(おし):えんおう、オシドリ[季]冬  0045:  二十三番   左 持 大原や比良の高嶺の近ければ雪ふる里を思ひこそやれ  0046:   右 枯野うづむ雪に心をしかすれば淺茅の原にきゞす立つなり   左歌は唯詞にして心哀ふかし。右は心こもりて姿たけあり。なずらへて持とす。  0047:  二十四番   左 數ならぬ心のとがになしはてじしらせでこそは身をも恨みめ  0048:   右 勝 もらさでや心の底をくまれまし袖にせかるゝ涙なりせば   兩首の戀、ともに心深しと雖も、右歌なほよし有りて聞ゆ。まさるべくや。  0049:  二十五番   左 あやめつゝ人知るとてもいかゞせむ忍びはつべき袂ならねば  0050:   右 勝 たのめぬに君來やと待つ宵の間の更けゆかで唯明けなましかば   左忍びはつべきなどいへる末の句のいとをかし。はじめの五文字やいかにぞ聞ゆらむ。右の歌なほ心深くやあらむ。又右まさるとすべし。  0051:  二十六番   左 持 世をうしと思ひけるにぞなりぬべき吉野の奧へふかく入りなば  0052:   右 かゝる身におほしたてけむたらちねの親さへつらき戀もするかな   左の吉野の奧へ入、右の親さへつらき戀の心、共に深く聞ゆれども、大かたはこの(いづこへといふ)への字は是又古くも近くも人よむことにはあれど、こひねがふべきにはあらざるなり。是は思ふ所をついでに申し出づるなり。但、歌の程持とす。  0053:  二十七番   左 人は來で風の氣色も更けぬるにあはれに雁のおとづれてゆく  0054:   右 勝 物おもへどかゝらぬ人もあるものをくやしかりける身の契かな   左歌も心あり、をかしくは聞ゆ。右の歌猶宜し。勝と申すべし。  0055:  二十八番   左 持 歎けとて月やはものを思はするかこち顏なる我が涙かな  0056:   右 知らざりき雲井のよそに見し月の影を袂にやどすべしとは   左右兩首共に心深く姿優なり。よき持とすべし。  0057:  二十九番   左 持 かりくらし天の河原と聞くからに昔の波の袖にかゝれる  0058:   右 津の國の難波の春は夢なれや蘆の枯葉に風わたるなり   共に幽玄の體なり。又持とす。  0059:  三十番   左 持 繁き野をいく一むらに分けなして更に昔を忍びかへさむ  0060:   右 しをりせで猶山深く分け入らむ憂きこと聞かぬ所ありやと   左心殊に深し。右いとふ心又深し。猶又持とすべし。  0061:  三十一番   左 勝 曉のあらしにたぐふ鐘の音を心のそこにこたへてぞ聞く  0062:   右 夜もすがら鳥の音思ふ袖のうへに雪はつもらで雨しをりけり   右歌末句などいとをかし。但、左歌殊に甘心す。仍猶勝とす。  0063:  三十二番   左 持 花咲きし鶴の林のそのかみを吉野の山の雲に見るかな  0064:   右 風かをる花の林に春暮れてつもるつとめや雪の山道   左鶴の林を芳野の奧に察し、右春の花の風の前に雪山を思へば、心姿無勝負。持とすべし。  0065:  三十三番   左 持 鷲の山思ひやるこそ遠けれど心にすむを有明の月  0066:   右 あらはさぬ我心をぞ恨むべき月やはうとき姨捨の山   ニ首釋教の心、左は靈鷲山を思ひ、右は姨捨山を引けり。天竺和國雖有別、所詮は心月輪を觀ぜり。歌の品も又おなじ。仍持とす。  0067:  三十四番   左 持 若葉さす平野の松や更に又枝にや千代の數をそふらむ  0068:   右 澤邊より巣立ちはじむる鶴の子は松の枝にや移りそむらむ   左歌は平野の松に若葉をさゝしめたり。定めてその故ありけむかし。右歌は唯澤邊の鶴の子の松にうつりそめたるは、祝の心左には及びがたくやと覺え侍れど、歌の程は猶持なるべし。  0069:  三十五番   左 曇りなき鏡の上にゐる塵を目にたてゝ見る世と思はゞや  0070:   右 勝 たのもしな君々にます折にあひて心の色を筆にそめつる   左右共に由緒ありけむとは見えながら、左は陳訴の心あり。右は聖朝にあへるに似たり。仍て似右爲勝。  0071:  三十六番   左 持 深く入りて神路の奧を尋ぬればまた上もなき峯の松かぜ  0072:   右 流たえぬ波にや世をばをさむらむ神風すゞし御裳濯のきし   左歌は心詞深くして愚感難抑。但、右歌も神風久しく御裳濯の岸に涼しからむこと、勝負の詞加へがたし。仍持と申すべし。   まことやこの歌のはじめにもゝ枝の松にと侍るは愚詠可獻にやとて、  0073: 藤浪も御裳濯川の末なればしづえもかけよ松のもゝ枝に  0074: 契りおきし契のうへにそへおかむわかの浦ぢのあまのもしほ木  0075: 此道のさとりがたきを思ふにも蓮ひらけばまづ尋ね見よ  0076:  返し 和歌の浦に鹽木かさぬる契をばかけるたくもの跡にてぞ知る  0077: さとり得て心の花のひらけなば尋ねぬさきに色ぞ染むべき  此本慈鎭和尚御自筆、判詞釋阿自筆、祕藏本昇身房申出訖。正元々庚申九月書之。  右以伊藤嘉夫氏藏本書寫以架藏古寫本寛文七年板本等訂補誤脱畢、昭和十五年二月。  底本::   著名:  西行全集 第二巻   著者:  西行・俊成   校訂:  久曾神 昇   発行者: 井上 了貞   発行所: ひたく書房   初版:  1981年02月16日 第 1刷発行  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力日: 2000年07月15日-2000年07月21日  校正::   校正者: 新田 美佳   校正日: 2000年09月08日