Title  富士見三景めぐり  Author  大町桂月  Subtitle  1.西行坂  Description  野崎左門氏の著わせる「日本名勝地誌」を繙きて、臥遊を為すこと久し。その甲斐国巨摩郡万沢村西行坂の條に、富士見三景の一とあるを見て遊意動く。又甲斐国南都留郡御坂峠の條にも、富士見三景の一とあるを見る。残りの三景の一は何処にかと、残る隈なく「日本名勝地誌」に目を通したけれど見当たらず。遺憾に思いつつも、空しく十数年を過ごせり。  一日ふと「山梨鑑」を繙きその名勝の部を見しに、嬉しや嬉しや「日本名勝地誌」に漏れたる三景の一現われ出でたり。即ち甲斐国北巨摩郡日野春村より台ケ原に通ずる路筋の花水坂これ也。斯くて富士見三景は悉く判然せり。判然すれは劫って心落付き往きて見むと思ひつつも、又空しく十数年を過ごせり。  斯かる程に身延鉄道創まり、東海道線の鈴川駅と岩淵駅との間に富士川駅出来て汽車大宮に通じたり。更に進んで芝川に通じたり。この夏はおほ進んで十島に通じたり。今や西行坂はこの十島駅より僅かに数町以内に近寄れり。  夜汽車に乗り、月の光に箱根山を潜り抜けて午後四時、富士駅に達し直ちに身延鉄道に乗り換ふ。一天霽れ渡れり。正面より少し右手に当りて富士の全体近く鮮か也。雄視すと云ひても物足らず。東海の天に君臨すとでも言まほしき心地す。大宮を過ぎて富士後ろになるかと思ふ間もなく左手に見ゆ。土地高くなりて、富士従って高し。富士又も後ろになりて、汽車は富士川の峡谷に入り、富士川を左に見下しつつ芝川を経て十島に達す。  駅を出でて青年会の木標の教ふるままに左折し、線路を過ぎて又も左折して渡舟に乗る。舟夫棹を用いず、銅線をたぐりて舟を進む、「西行坂はどのあたりにや」と舟夫に問ひしに一人の洋傘さしたる同舟の男、素早く差出でて「それは富士見三景の一なり、彼処なり」とて、無造作に前方数町の外なる二三の松樹の立てる小山の頂を指す。愚かや、甲州人士には斯くばかり一般に知れ渡りたる富士見三景を、余は十数年もかかりて空しく書籍の上に捜したりし也。  西行と祢する小部落の人家の間より山田に入り、二町ばかりにして右折し、小橋を渡りて山路に就き僅かに五六町上れば早や頂上也。古松四株、二株づつ近く相接し、一方の二株他の二株と相対して、関門の観を成す。石龕ありて観音を安ず。  富士はと見れば圓味を帯びたる山と山の間に五六合以上を露はす。その頂は普通昼に見るが如く三峰分立す。雪を被らば観更に美なるベし。造花の奇を弄するも亦甚しい哉。上流を見れば福士の村落、川に接し、その左手の上に篠井山巍然として天を衝く。下流を見れば十島、万沢の村落、川を挾み右手に白鳥山温乎として立つ。富士なくも心ゆく処也。  況んや萬斛の涼気、松藾に和して湧くをや。県道ここに通じたりしが今や新道富士川に接して山麓をめぐる。あたら奇景も土人の外には見る人もなし。されど身延鉄道延長して、西行坂は十島駅より数町以内の勝地となれり。ゆくゆくは身延詣の風流を解するもの、ぼつぼつ歩を枉ぐるに至るべき也。  Subtitle  2.御坂峠  Description  (省略)  Subtitle  3.花水坂  Description  (省略)  Note  大町 桂月(おおまち けいげつ)1869-1925  本名 芳衛 高知市出身 明治、大正期の文芸評論家 随筆家、紀行文の第一人者。「富士見三景めぐり」は大正七年(1918)桂月全集に掲載されている。  End   底本:  西行峠の伝説と文学   発行:  平成二年三月三十一日   編者:  富沢町/富沢町教育委員会   発行者: 富沢町/富沢町教育委員会   国際標準図書番号:   入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: IBM ThinkPad s30 2639-42J   入力日: 2003年12月05日  校正::   校正者: 大黒谷 千弥   校正日: 2003年12月14日  $Id: meguri.txt,v 1.6 2019/07/09 02:30:53 saigyo Exp $