Title 西行上人談抄  Author 蓮阿  Description 西行上人二見浦に草庵結びて、 濱荻を折敷きたる樣にて哀なる すまひ、見るもいと心すむさま、 大精進菩薩の草を座とし給へり けるもかくやとおぼしき。硯は 石の、わざとにはあらず、もと より水入るゝ所くぼみたるを被 置たり。和歌の文臺は、花がた み、扇やうの物を用ゐき。歌の ことを談ずとても、其隙には、 一生幾ばくならず、來世近きに ありといふ文を口ずさみにいは れし、哀に貴くておぼえし。今 も面影たえぬ道忘れがたし。 さて歌はいかやうによむべきぞ ととひ申しゝかば、和歌はうる はしく可詠なり。古今集の風體 を本としてよむべし。中にも雜 の部を常に可見。但、古今にも うけられぬ體の歌少々あり。古 今の歌なればとて、その體をば 詠ずべからず。心にも付きて優 におぼえむ其風體の風理をよむ べしと侍りしに、なほ何れの歌 どもをか殊には本とすべきと申 しゝかば、空にはいかゞ。さる にても少々おぼゆるをとて、  春霞たゝるやいづこみよしの  の吉野の山に雪は降りつゝ   此歌たてるやいづこと云ふ   人もあるを、上人はたゝる   やいづこと侍りしなり。  櫻花咲きにけらしな足引の山  のかひよりみゆる白雲  いざ今日は春の山べにまじり  なむ暮れなばなげの花の陰か  は  霞立つ春の山べは遠けれど吹  き來る風は花の香ぞする  花の色はうつりにけりないた  づらに我身世にふるながめせ  しまに  思ふどち春の山べにうちむれ  てそこともしらめたびねして  しが  春霞たなびく山の櫻花うつろ  はむとや色かはりゆく  櫻色に衣はふかく染めて着む  花の散りなむ後のかたみに  春霞かすみていにし雁がねは  今ぞなくなる秋霧の上に   此歌を貫之中宮の御屏風に   書きけるを、先づ春霞と書   きたりけるを、秋の繪の所   には春霞いかゞと申す人あ   りければ、筆をうちおきて   不覺仕り候けりと云ひて、   しばしありてみなみな書き   たりければ、難じたる人か   ほあかめて心うげに思ひた   りけり。  月見ればちゞにものこそ悲し  けれ我身ひとつの秋にはあら  ねど  秋はいぬ紅葉は宿にふりしき  ぬ道ふみ分けてとふ人はなし  みよし野の山の白雪つもるら  し故郷さむく成りまさるなり  夕されば衣手さむしみよしの  の高間の山にみ雪降るらし  住吉の松を秋風ふくからにこ  ゑうちそふる沖つしら浪  あまの原ふりさけ見れば春日  なる三笠の山を出でし月かも  むすぶ手の雫に濁る山の井の  あかでも人に別れぬるかな  越えぬ間はよし野の山の櫻花  人づてにのみ聞き渡るかな  音羽山音に聞きつゝ逢坂の關  のこなたに年をふるかな  思ひかね妹がり行けば冬の夜  の川風さむみ千鳥なくなり  有明のつれなく見えし別れよ  り曉ばかりうきものはなし  月やあらぬ春や昔の春ならぬ  我身ひとつはもとの身にして  三輪の山いかに待ち見む年ふ  とも尋ぬる人もあらじと思へ  ば   此歌は*業平中將かれがれに   成りければ、伊勢父の大和   守のもとに行くとて、なら   坂の上に、ひらなる石のあ   る上に、輿かきすゑさせて、   京のかた見やりてよみたり   と上人かたられき。    *業平:仲平の誤  あまの刈る藻に住む蟲の我か  らとねをこそなかめ世をばう  らみじ  わびぬれば身を浮草の根をた  えてさそふ水あらばいなむと  ぞ思ふ  逢坂の關のあらしは寒けれど  行方しらねばわびつゝぞふる 和歌の風體上人年來相談ぜられ しを記しおきたるも少々あり、 さらぬをも思ひ出づるにしたが ひて書きたるなり。 又古今の外にもよき歌ども少々 ありとて、  高砂の尾上の櫻咲きにけり外  山の霞たゝずむもあらなむ  おのづから秋はきにけり山里  の葛はひかるゝ槇の伏屋に  鶉なくま野の入江の濱風に尾  花浪よる秋の夕暮  なけやなけ蓬が杣の蛬過ぎ行  く秋はげにぞ悲しき  松風の音だに秋は悲しきに衣  うつなり玉川の里  さびしさに煙をだにもたゝじ  とや柴折りくぶる冬の山里  山里は庵のま柴を吹く風の音  聞くをりぞ冬は物うき   此歌の姿とて、上人我が首   を衣に引入て、冬の嵐の庵   の柴吹く音あらはへたち出   でむも物うきさま面影さる   亊ありかしと覺ゆる歌也と   有し姿今も見るやうなり。  淡路島かよふ千鳥のなく聲に  幾夜ねざめぬ須磨の關守  松嶋やをじまが磯にあさりせ  しあまの袖こそかくはぬれし  か  難波江の藻に埋もるゝ玉柏あ  らはれてだに人を戀はゞや  今日こそはいはせの森の下紅  葉色に出づれば散りもこそす  れ ある所にて人々あまた和歌の談 義ありしに、各心につかむ歌い はむとて紙に書きて見せしに、  君が植ゑし一むら薄蟲のねの  しげき野邊とも成りにけるか  な 此歌を三人出したりき。  いなばもる聲こそ夜の小山田  は音せぬよりもさびしかりけ  れ おのれこの歌を出したりしかば 以外に感にあはれたりきと上人 いはれしなり。  ほのぼのと明石の浦の朝霧に  島がくれ行し舟をしぞ思ふ 人丸の歌には此歌を勝れたりと よの人思へり。  梅の花それとも見えず久方の  あまぎる雪のなべて降れゝば 此歌はほのぼのとにはまさりた るやうの故は、島がくれ行く舟 をしぞ思ふ、此句は言のよせ誰 も思ひよりぬべき樣のしたるな り。梅の花の歌は、凡夫の心思 ふべきにあらず、大なる歌とは 是を云ふなり。叶ふべき亊には あらねども、歌はかやうによま むと思ふべしとなり。 四條大納言所勞大亊にて、死ぬ べくなられけるに、大貳高遠三 位平禮に下の袴こはらかにて、 引きつくろひて、大納言の許に 被參たりければ、とぶらひに行 きあひたる人々、こはいかなる ことぞ、所身の仁の許に引きつ くろひて被參たる、尾籠の人か なと口々にそしりけり。さて大 納言臥しながら對面して定所身 の亊とぶらふならむと思はれけ るに、とぶらひをば一言をもい はで、貴之の歌の中に、  逢坂の關の清水にかげ見えて  今や引くらむ望月の駒 高遠歌に、  逢坂の關の岩門ふみならし山  立ち出づるきり原の駒 此兩首、かれこれ一二反詠じ候 へば、高遠が歌はまさりて覺え 候を、四五反詠じ候へば、貫之 歌亊外まさりて候。この不審御 存生の時申し候はむとて參て候 と申されければ、大納言かきお こされて、落涙して暫し有りて 公任かくれて後誰か歌を大亊に せんずらむと思ひ候つるに御志 ふかゝりける亊あはれに有り難 しとて、此兩首をニ三反吟じて、 貴之歌はさせる詞のよせもなく うるはしく云ひながしたり。御 歌は關の岩門ふみならしといふ より、山立ち出づるきり原の駒 とまで、詞のよせたくみなる故 に、貫之歌には劣り候なりとい はれければ、此不審申し候はむ とて參りて候也とて所身をば遂 にとぶらはで歸られにけり。其 時大納言かやうの人末代には有 難くや。平禮にて引きつくろひ たるも、和歌の談義の故なりと 侍りけるにあはせて、又の日夜 なるさまにて、雜色などもさる やうにて參りて、内へも入らで 所身のとぶらひ許り申して門よ り歸られたりければ、昨日引き つくろはれたりしは、誠に和歌 の故なりけりと人々いひけり。 和歌を澁する亊古人はかくぞあ りける。 橘爲仲かとよ、陸奧守にて下る に、白川關を通るとて、長持よ り狩衣指貫とりて着しければ、 ぐしたる者ども、こはいかなる ことにかと云ひければ、白河の 關をいかで見苦しげにては通ら むぞといひけり。やさしきこと なり。大かた歌は數寄の深也。 心のすきてよむべきなり。しか も太神宮の神主は、心清くすき て和歌をこのむべきなり。御神 よろこばせ給ふべし。住吉大明 神もそれをいよいよ感じ給ふべ きなり。 抑和歌はさきに云ひつる兩首の 沙汰にて心得つべし。貫之歌の やうに、させる詞のよせもなく 言ひ流すべし。但、さればとて 詞のよせをよむまじとにはあら ず。よからむさまに寄りこむは 詠むべし。關の岩門ふみならし 山たち出づるきり原の駒といひ たるは、美なる詞のよせいとた くみにて、よき姿かやうに心得 て詠むべきなり。この歌貫之歌 にならぶればこそ、それには劣 れ、大方は秀歌なり。かやうの 歌にとりては尤よむべき詞のよ せを詠まぬは心不足なる程見え てわろきなり。たとへば大臣の ひさしの大饗に立つべき屏風 (を立てぬやうなりとありしか ば、如何なる屏風を立つるぞや と申しゝかば、これは祕する亊 にてあるなり。屏風)は必ず十 二帖なり。洛中に一年十ニ月間 公家よりおこなはるゝ亊、その 月々のことを十ニ帖に繪にかく なり。其中は見所あり繪かきた る屏風を立つるなり。祕藏の亊 もかやうに聞くときはやすきな りと侍りき。 和泉式部歌に、  くらきよりくらき道にぞ入り  ぬべき遙かに照らせ山の端の  月 此歌を和泉式部歌の中にすぐれ たりと人思へり。  津の國のこやとも人をいふべ  きに隙こそなけれ葦の八重ぶ  き この歌はまさりたるなり。その 故は、從冥入於冥、此文を詠 みたるはあとなる亊にて、誰も 思ひよりぬべし。ひまこそなけ れ葦の八重ぶきは人の思ひよる べきにあらずと侍りき。 又いはく、人丸の、人の心をま どはさむとて詠める歌  武士のやそうぢ河の網代木に  いさよふ波の行方しらずも 貫之が人の口みむとてよめる歌  敷しまの大和にはあらぬ唐衣  ころもへずして逢ふよしもが  な 興ある歌  思ふどちまとゐせる夜は唐錦  たゝまく惜しきものにぞあり  ける おもしろき歌  奧津風吹きにけらしな住吉の  松の下枝をあらふ白浪 さびたる歌  夕されば門田のいなばおとづ  れてあしのまろ屋に秋風ぞ吹  く うらがへりたる心の歌  いなばもる聲こそ夜の小山田  は音せぬよりもさびしかりけ  れ いろはよみの歌  この頃は木々の梢も紅葉して  鹿こそはなけ秋の山ざと 上句平懷なれどもよき歌  水もなく見え渡るかな大井河  峯のもみぢは雨と降れども 此歌は中納言定頼の歌なり。一 條院御時大井河の行幸に、歌講 ぜられける時、四條大納言、我 歌はいかでもありなむ、中納言 歌をよくよめかしと思はれける に、既に此歌を水もなく見えわ たるかな大井河とよみあげたり けるに、はや不覺してけりと顏 の色をたがへて思はれけるに、 嶺の紅葉は雨と降れどもとよみ あげたりけるに、秀歌仕りて候 けりと顏の色出で來てぞ思はれ ける。上句平懷なれども、かや うによき歌もあり。但、樣によ るべし。大かたは上下の句首尾 あひ叶ひて、その風體一體なる べし。上下不相叶はたとへば 鷹狩の野にて肴をたかつきにし たるやうなることなり。所にし たがへば、あやゐ笠のはにかひ てをしきて、かりなすびを肴に はするなり。又さかなをば折敷 のうらにてきるなり。その中に おもてにてきるものニつあり。 それを裏にてきるは首尾あひか なはず、面にてきるものは(生海 鼠)、今一つは何ぞよとていはれ ず。又艷書はうすやうに書きて 上をつゝむなり。つゝまぬはは だか文とてわろし。これも首尾 相叶はぬなり。此たとへにいふ ことどもは祕亊也。人にしたが ひて言ふべし。又此亊ども歌の 上下首尾相叶はぬたとへにいふ べくもあらぬ亊なれども、一切 の亊につけて思ふべき由いはむ が爲なり。大かた諸道好士その 心ざし一なり。侍從大納言の侍 しは、蹴鞠このむは思ひかけぬ 木下に立ちよりても、此枝の梢 の鞠のながれむにはいかに立つ べきと案ずるなりと侍りし也。 歌好もさやうに思ふべし。又彼 大納言のありしは、己は一千日 の鞠けたるなり。雨降る日は大 極殿、又所勞の時はかきおこさ れて足に鞠をあてしなりと侍り き。それ程に志あらむには歌も 何かあしからむ。なほなほ行住 座臥に心を歌になすべしと侍り しなり。 こゑよみの詞優なる歌  勅なればいともかしこし鶯の  宿はと問はゞいかゞ答へむ 此歌こと人の詠みたらむよりは 貫之が女のよみて梅の枝に結び けむ、殊更優におぼゆるなり。此 勅なればといへるこそ、歌詞な らねば首尾相叶ふまじけれども 此歌にとりては、いともかしこ しと續けたる、殊に優なり。猶々 かやうの亊は歌によるべし。 兒のたこたこあゆみしたる體の 歌  鶯よなどさは鳴くぞちやほし  きこなべやほしき母や戀しき 此敬は貴之が女の九にてよめる なり。俊頼朝臣は此歌詠じて落 涙しけり。  木葉ちる宿はきゝわくことぞ  なき時雨する夜も時雨せぬ夜  も この歌は藤原頼實命にかへたる 歌なり。よはひ三十の(時)やま ひ大亊にて死なむとしけるに、 命はいくらにても其のなからを 召して秀歌を賜はらむとこそ賀 茂大明神には祈申しゝにといひ ける時、前にありける七八許り なるものに大明神つき給ひて、 なるものに大明神つき給ひて、  木葉ちる宿はきゝわくことぞ  なき時雨する夜も時雨せぬよ  も この歌は六十まであるべかりつ る命を祈申すにまかせて、三十 の命を召して我よませたるにあ らずやと託宣し給ひければ、頼 實これをえ知り候はざりける、 今は心やすく命更に惜しく候は ずとて三日ばかりありて死にけ り。よき歌はまことにたやすく 出で來がたし。祈もすべきなり と候りしに、蓮阿(其時俗)何となく 心すみて、月讀宮に六年月詣し て、若し賜ふべき官位福祿あら ば、それをとゞめて和歌の冥加 を賜はらむと祈申たるに、千載 集に歌一首まじりたれども、名 字を書かれず。又新古今にもれ たり。遺恨なるべけれども、靜 かに思ふに更々恨なくて、和歌 を大亊にして六十餘〓の春秋を 送りき。昔上人云、和歌は常に 心すむ故に惡念なくて、後世を 思ふもその心をすゝむるなりと いはれし、此亊實なり。齡滿六 十にて、餘命なしと思ひて世を 遁れて一向淨土を求むるに、和 歌好みし心にて道心を好めば、 まことに心ちらず、やすかりけ る。抑六十年祈請の趣もし僞な らば、神罰あるべし。 連歌はいかなるべきぞと申しゝ かば、歌は直衣、連歌は水汗ご ときの體なり。大原寂然の庵に て人々おそろしき歌を連歌にせ しに、  神のよの大むくの木の下ゆか  し かくいひたりしを、己が付けた りし、  えの木もあへぬことにもぞあ  ふ 是を人々感じあはれたりき。自 ら連歌を本とするにはあらず、 談義のついでなればいふなり。 そもそも又連歌はしるべき亊あ り。歌よみのかやうの骨法を知 らぬはわろし。連歌す子に興有 る句出で來るに、とく付くるを よきことにして、惡きをもかへ り見ず言ひ出すは骨法を知らぬ なり。されば人々よくつけさせ むと相待つに人もえつけず、程 ふれば興なし。其時はわろけれ ども言ひ出づるなり。又連歌す るに一首の歌によみて秀歌にて 有りぬべき句出で來たるを、人 にほめられむとて言ひ出すをば 尾籠の亊にするなり。言ひ出す まじきは一首の歌によむべしと 侍りき。 腰折とは如何なるを申すぞと申 しゝかばさる姿の歌あるべし。 後拾遺にあるにやといはれし を、いづれやらむと申しゝかば 知らずとて言はれざりしなり。 祕せらるゝなるべし。  西行上人和歌弟子蓮阿以自  筆記之、云々。  西行上人和歌弟子滿良神主者  家田大長官良次男也。出家以  後法名號蓮阿。西行上人和歌  之談義謂西公談抄。任出自  筆令書之。  此抄物不慮有加一見亊。  上人所存誠露顯。且此道可  爲肝心〓之由、存之間書  加此草子畢。努々不可有  外見者也。藤爲基  元享第三之暦大〓上旬之候、  依禪命重書之。和歌深奧  大底備之。尤可祕藏者也  而已。不可有外見而已。  此一帖了俊相傳了。本之任 判  正五位下荒木田武精   實暦七丑年初夏下旬 右以神宮文庫本書冩、本文者以諸冩本訂補畢、昭和十五年二月。  底本::   著名:  西行全集 第二巻   著者:     校訂:  久曾神 昇   発行者: 井上 了貞   発行所: ひたく書房   初版:  1981年02月16日 第 1刷発行  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: Apple Macintosh Performa 5280   入力日: 2000年10月21日-2000年10月26日  校正::   校正者:   校正日: