白河の関写真情報

ここに西行歌碑はありません。

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 みちのくにへ修行してまかりけるに、白川のせきにとど
 まりて、ところがらにや、つねよりも月おもしろくあは
 れにて、能因が、秋風ぞ吹く、と申しけんをりいつなり
 けんと思ひいでられて、なごりおほくおぼえければ、せ
 きやのはしらにかきつけける
しらかはのせきやを月のもるかげは人の心をとむるなりけり
      新編国歌大観 第三巻 私歌集編Ⅰ 歌集 「山家集」より

撮影日:  2003/09/21
撮影場所: 福島県白河市旗宿
撮影者:  新田 由佳
撮影機:  PENTAX Optio330
撮影者:  新渡戸 広明
撮影機:  ASAHI PENTAX SPII・TAKUMAR 1:3.5/24
「矢白河の関map」map
「白河の関map」


「白河の関入口」001 白河の関入口


「説明板」002 説明板


国指定史跡
  白河関跡
          指定年月日 昭和四十一年九月一二日
          指定面積  五七、八九七平方メートル
          所有者   白河神社・白河市他
          管理団体  白河市
 白河の関は、古くよりみちのくの関門として歴史にその名を
刻みまた文学の世界では歌枕として数多くの古歌に詠まれた場
所である。
 関の位置については久しく不明であったが、江戸時代中期、
時の白河藩主松平定信の考証により、この地が白河関跡である
と推定され、寛政一二年(一八〇〇)に「古関蹟」の碑が建て
られ、今日に至っている。
 関が置かれた年代については不明であるが、承和二年(八三
五)、延暦一八年(七九九)の太政官符には「白河関」の名が
認められることや歴史的な背景からみて、大化の改新以後七・
八世紀頃には存在していたものと考えられる。また、廃絶も明
確ではないが一二、三世紀頃と考えられている。
 昭和三十四年から三十八年までに実施された発掘調査では、
竪穴住居跡や堀立柱建物跡、空堀、土塁、柵列などの古代から
中世にいたる遺構が発見され、縄文土器、土師器・須恵器・灰
釉陶器、鉄製品などの遺物が出土している。出土した土師器の
中には「門、大室、□船」などの墨書土器がみられる。
 白河の関の全体像についてはまだ未解明な点もあるが、現在
も奥州三関の一つとして多くの人々に親しまれ、空堀、土塁な
どの遺構の一部が現存し、歴史のひとこまに触れることができ
る場となっている。
 また、春には藤やかたくりの花が咲き、訪れる人々の心を和
ませている
                      文部省
                      白河市教育委員会

「古関蹟の碑」003 古関蹟の碑


 古関蹟の碑
 白河藩主松
平定信(楽翁
)が寛政十二
年八月、ここ
が、白河の関
跡であること
を確認して建
立した碑であ
る。

「奥の細道白河の関」004 奥の細道白河の関


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