Title
「般若心経」を読む
「色即是空、空即是色」−愚かさを見すえ、人間の真実に迫る
 Author
 水上勉
 Description
序章
「まかはんにゃはらみたしんぎょう」
 ロ伝えの「はんにゃしんぎょう」
 墨染衣を着た大男の松庵和尚が正座しておられる。膝前のうるしぬりの見台に経本が置いてある。見台は私のためのものではなく、松庵和尚がよむためのものだから、私は見台の背中を見すえている。背中はななめに先上りになっているので、肝心の経本は見えず、金箔をぬった頭と金欄布の額ぶち表紙のわずかがのぞいているだけで、背のひくい山僧に見えるものは、虫が喰ったため修復されている見台の裏ばかりである。ななめ板に厚木がかませてあって、足がついている。見台板の重量を支えねばならぬ一本足は、孤独に一本だけである。下方に鉄のL字型がうちこまれた厚板があるのだが、それで重い経本が支えられて、和尚がめくるたびにがたがたとうごくのがおもしろい。小僧は、しかし、笑うわけにゆかないのだ。見台の裏を見すえながら、和尚のロからこぼれてくる経文の一節ずつを耳にきいて声に出すのである。
「まあーか」
 と和尚はいう。
「まあーか」
 と私はこたえる。こたえるのではなくて、きこえた通りをいってみるのである。
「はんにゃ」
 と和尚はいう。
「はんにや」
 と私はこたえる。つづいて、こんどは、
「まかはんにゃ」
 と和尚はいう。さらにつづいて、和尚はこういうのだ。
「まかはんにゃはらみたしんぎょう」
 私はいう。
「まかはんにゃはらみたしんぎょう」
 字がよめたわけではない。九つ半だった。片仮名と平仮名は多少は書けてよめたが、漢字はわずかしかよめなかった。さんまい谷に近くて死者の棺をつくっていた生家には電灯がなかった。字をよんだのは野尻分教場という義務教育の学校で、七つあがりだったゆえ九歳半は四年生。「読み方」といった教科書に出てきた漢字はごくわずかで、それしか、私にはおぼえた漢字がない。それゆえ、和尚は私に経本た見せてもしかたがない、という判断だったのだろう。それとも、経は耳でよむものだというふうなことの信奉者だったろうか。そこのところはれからない。和尚は、ある箇所までよみ、私に復唱させると、時計を見て、エンピツでしるしをつけて、
「今日はここまでや」 
 といった。
   ・・・・・・
「今日教えたとこを何べんもロにだしていうてみて、草取りしながらロで復唱しとれば、いつのまにか暗唱できる」  とつけ足した。それで、私は耳から入って私のロから出ていた「まかはんにゃはらみたしんぎょう」を何度もいい、つづいて、
「かんじざいぼうさ、ぎょうじんはんにゃはらみた」
 と、意味もわからないままに、耳から入った糸をとり出すように、ロに出してみたのである。草取りしながら、風呂の水を汲みながら、めしを焚きながら、奥さんのお子さんのおむつを洗いながら。するとまだめくってもみない経本の文句だが、つまり、漢字文が、平仮名でいえている自分がわかるのである。和尚は経本のどこかにしるしをつけているけれど、私の頭の中にはそのしるしはないのだつた。だから、さいしょにはじまった「まあーか」から、その日のさいごだったところまでが、糸になって入っているので、その糸をたぐりよせて何度も何度もいっているうちに、その一日のぶんが輪になって宙でいえるようになるのである。
「まあかはんにゃはらみたしんぎょう。かんじざいぼうさ、ぎょうじんはんにゃはらみたじいしょうけんごおんかいくうど」
 というふうに出てくるのである。翌日になると、和尚は経本のしるしをつけておいたところからはじめる。昨日のところは一度私に宙でいわせて、きいただけで、つぎへすすむのである。
「いっさいくうやくしゃありいしいしきふういくうくうふういしきしき」
 私は同じように耳からロヘひき出してゆくのである。
 お気づきになったかもしれない。ここでは漢字の脈絡はないのである。平仮名である。しかも符牒のような文句が和尚の口からこぼれ、私がそれを拾って数珠にしているようなあんばいである。だからはたのものがきいていると、あるリズムをもった平仮名の奇妙なことばということになろうか。奇妙といったのは、和尚と私だけに通じるリズムだった。意味のわからないことばだからリズムしかないのである。
「まあーか」
 というのは、のち「摩訶」のことだとわかる。なぜか中に「あ」が入っている。
「かんじざいぼうさ」
 もそうである。観自在菩薩(かんじざいぼさつ)が本当のよみであろうが、和尚は私に
「かんじィざいぼうさ」
 と教えるのである。「う」があって「つ」がない。ぼさつが「ぼうさ」になっているのである。
「じいしょうけんごおんかいくうど」
というのも「時照見五薀皆空度」のことだが、これだってげんみつにいうとおかしいよみになっているはずだ。「行深般著波羅密多時、時照見五薀皆空度、度一切苦厄」というのが漢字経文の脈絡であり、文章だ。ところが和尚のリズムでは前文の「時」からはじまって「じいしょうけんごおんかいくうど」となるのである。リズムが主に立っている。そのため、度一切苦厄の「度」は前文に入って、つづいて、
「いっさいくうやくしゃありいしいしき」
 というふうにつづられるのである。「しゃありいしいしき」とは「舎利子、色不異空」の舎利子と色がむすびついている。したがって、つぎの色不異空は、Γふういくうくうふういしきしき」
となる。つづいて、
「そくぜくうくうそくぜえしき、じゅうそうぎょうしき、やくぶにょうぜしゃありいし」
 というふうになってゆくのである。漢字のつづりは解体されて私たちのリズムにならべかえられるのだ。
いま私は、のちに漠字でよむようになる般若心経が、最初にとびこんできた平仮名文のまま私の頭の中にのこっていることを告白する。
 七十二才になった今も、こうして書いていると、般若心経は、平仮名でならったリズムのある暗唱文、すなわち「う」や「イ」や「つ」を入れたり、とったり、あるいは「あ」や「う」でながくのばしてみたりするあのロ唱の方に愛着を感じるのである。また、この平仮名のリズムは、摩訶が「まあーか」と「あ」が入ったり、入らたかったりするのは和尚がその日の都合で、「木魚よみ」にしたり、しなかったりすることによってちがったということも、のちにわかる。木魚よみとは、木魚をたたいてリズムをとってよまねばならないために、
  ○      〇  〇         〇
「まあかはんにゃはあらみいたしんぎょうかんじい
   〇           〇
ざいぼうさぎょうじんはんにゃはあら」
〇印をつけたところはつけ足しであるが、このつけ足しがないことには、木魚のもくもくという音律とあってこないのだ。ために誦唱する経にふた通りあって、木魚がなくて、ただ経本をよむ場合は、
「まかはんにゃ、はらみたしんぎょう」
とくる。「あ」がぬけている。だが木魚よみでは、
「まあーか」
とくる。この呼吸が大事だと和尚はいった。

松庵和尚の妙技
 この和尚は京都の臨済宗本山相国寺塔頭瑞春院の住職である。山盛松庵といった。晩年は相国寺の宗務長をつとめた人で、数少ない声明の名手といわれた。京都の臨済派の本山の個性をいうのに、「建仁寺の学門づら、大徳寺の茶人づら、南禅寺のソロバンづら、相国寺の声明づら」などといったそうだ。相国寺には声明の伝統があって、古くから厳修された大纖法会は、宋国の行法そのままが踏襲されたことで有名だ。松庵師はこの纖法声明が誦じられる数少ない導師で、六尺近い巨体から、絹糸のような細声を出して、ながくのばしてとなえる妙技をもっておられた。世俗世界に例をとれば、新内ながしの富士松が、生糸のようにこぶしをきかせてながくひっぱってみせるあのロ説きの施律である。経文にもそれはあって、松庵師は、相国寺派従弟に教えることを生涯のしごととされた。私はその師匠の弟子として得度式をあげてもらつたのであるから、経文誦唱の入り方は、つまり前記したような平仮名から、しかも耳から入る方法によらねばならなかった。このことを、いま、おもしろいと思っている。お経というものが、そういうよみ方でもよめたことのおもしろさである。
 よく人は、「孝経」や「論語」「孟子」など、徒弟が師から教わるけしきを、師弟ふたりとも見台に本をおいて、向きあうものと想像されるだろう。が、私の揚合は、和尚だけが経本をもち、私にはなかった。あっても九歳半の私には漢字がよめなかったからだ。それゆえ、般若心経は、私にとっては、宙でいえるものであり、とても意味のふかい大事なお経というふうには入りこんでいないのだった。そうして、それが、そういうかたちで今日まで生きているのである。

 底本::
  著名:  「般若心経」を読む
       「色即是空、空即是色」−愚かさを見すえ、人間の真実に迫る
  著者:  水上勉
  発行所: PHP研究所
  発行:  1991年11月15日 第1版第1刷
       1999年10月21日 第1版第20刷
  国際標準図書番号: ISBN4-569-56438-0
 入力::
  入力者: 新渡戸 広明(nitobe@progress.co.jp)
  入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A
  編集機: Apple Macintosh Performa 5280
  入力日: 2000年11月04日