江口の君


 新古今和歌集にも所載の、

 0834
 天王寺にまゐりけるに、雨のふりければ、江口と申す所に宿を借りけるに、かさざりければ
世の中をいとふまでこそかたからめかりのやどりを惜しむ君かな
 0835
 かへし
家を出づる人とし聞けばかりの宿に心とむなと思ふばかりぞ

万葉集の以下の部分に雰囲気が似ていると思いませんか?
シチュエーションがちょっと違うんですけど。
ひょっとしてこれも一種の「本歌取り」?
誰も言っていないなら、私が言出しっぺ。

万葉集巻ニより

石川女郎贈大伴宿祢田主歌一首 [即佐保大納言大伴卿第二子 母曰巨勢朝臣也]
遊士跡 吾者聞流乎 屋戸不借 吾乎還利 於曽能風流士
(風流士と我れは聞けるをやど貸さず我れを帰せりおその風流士)(風流士:みやびを)
大伴田主字曰仲郎 容姿佳艶風流秀絶 見人聞者靡不歎息也 時有石川女郎 自成雙栖之感恒悲 獨守之難 意欲寄書未逢良信 爰作方便而似賎嫗 己提堝子而到寝側 哽音 足叩戸諮曰 東隣 貧女将取火来矣 於是仲郎 暗裏非識冒隠之形 慮外不堪拘接之計 任念取火
就跡歸去也 明後 女郎 既恥自媒之可愧 復恨心契之弗果 因作斯歌以贈謔焉

大伴宿祢田主報贈一首
遊士尓 吾者有家里 屋戸不借 令還吾曽 風流士者有
(風流士に我れはありけりやど貸さず帰しし我れぞ風流士にはある)

同石川女郎更贈大伴田主中郎歌一首
吾聞之 耳尓好似 葦若<末>乃 足痛吾勢 勤多扶倍思
(我が聞きし耳によく似る葦の末の足ひく我が背つとめ給ぶべし)
右依中郎足疾贈此歌問訊也

以上、下記のデータを引用させていただきました。

山口大学教育学部国語研究室

2000年12年15日