デジタル・アーカイブ
- 「國學院大學図書館 デジタルライブラリー (貴重書・コレクション)」
- 6.私歌集・類題集関係「山家集 異本」
室町時代末期写 水野家旧蔵本
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- 「国立国会図書館」
- 近代デジタルライブラリー
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- 一条摂政集/西行書,明44.1
- 異本山家集/藤岡作太郎校,明39.10
- 西行一生涯草紙,明16
- 西行道中記/桃川実講演他,明38.10
- 西行法師:仏教史談/布教奨学研究会編,明43.6
- 山家集/西行著他,明36.8(袖珍名著文庫;第8巻)
- 山家集/西行著他,明36.7(覆刻叢書;第2巻)
- 山家集:異本/西行著他,明39.10
- 書籍デジタル化委員会
- やまとうた(水垣久 氏)
古典文學の村(菊地孝仁 氏) リンク切れ
「山家集」
新潮社 古典集成第49巻 「山家集」 後藤重郎校注 リンク切れ
「西行」小林秀雄 (冒頭4ページ分) リンク切れ
- 日本語テキスト・イニシアティブ
The Japanese Text Initiative同上英語版
バージニア大学エレクトロニック・テキスト・センター
ピッツバーグ大学東アジア図書館
- 「山家和歌集」 有朋堂書店(1915)
- 「千載和歌集」Kadokawa Shoten (1951)
「おしなべて花の盛になりにけり山の端ごとにかゝる白雲」他多数
- 「新古今和歌集」
「いはまとぢしこほりもけさはとけそめてこけのしたみづみちもとむらん」他多数
- 「小倉百人一首」
86
「なげけとて月やは物を思はするかこちがほなるわがなみだかな」
- 「徒然草」吉田兼好
第十段
後徳大寺大臣の寢殿に、鳶ゐさせじとて繩をはられたりけるを、西行が見て、「鳶のゐたらんは、何かはくるしかるべき。此の殿の御心、さばかりにこそ」とて、・・・
- 「おくの細道」松尾芭蕉
象潟
・・・花の上こぐとよまれし桜の老木、西行法師の記念をのこす。・・・
「象潟や雨に西施がねぶの花」芭蕉
汐越の松
越前の境、吉崎の入江を舟に棹して汐越の松を尋ぬ。
「終宵嵐に波をはこばせて月をたれたる汐越の松」西行
- 「蕪村俳句集」蕪村
2
圓位上人の所願にもそむきたる身のいとかなしきさま也
「實ざくらや死のこりたる菴の主」蕪村
3
高雄
「西行の夜具も出て有紅葉哉」蕪村
- 「雨月物語」上田秋成
白峯
- 「良寛歌集」良寛
短歌「春」
西行法師の墓に詣でて花を手向けてよめる
「手折り來し花の色香はうすくともあはれみたまへ心ばかり」良寛
- 「おらが春」小林一茶
今年みちのくの方修行せんと、乞食袋首かけて、小風呂敷せなかに負たれば影法師はさながら西行らしく見えて殊勝なるに、・・・
「思ふまじ見まじとすれど我家かな」一茶
- 芭蕉DB (伊藤洋 氏)
- 野ざらし紀行(小夜の中山)
「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」西行
「馬に寝て残夢月遠し茶のけぶり」芭蕉
- 野ざらし紀行(西行谷)
「芋洗ふ女西行ならば歌詠まむ」芭蕉
- 野ざらし紀行(とくとくの泉)
「とくとくと落つる岩間の苔清水くみほすほどもなきすまひかな」西行
「露とくとく試みに浮世すすがばや」芭蕉
- 泊船集(露沾公にて)
「西行の庵もあらん花の庭」芭蕉
- 笈日記(画賛)
「西行の草鞋もかかれ松の露」芭蕉
- 嵯峨日記(4月22日)
「とふ人も思ひ絶えたる山里のさびしさなくば住み憂からまし」西行
「山里にこはまた誰を呼子鳥ひとり住まむと思ひしものを」西行
「憂き我をさびしがらせよ閑古鳥」芭蕉
- 奥の細道(象潟 6月15日〜18日)
「象潟の桜は波に埋れて花の上漕ぐ海士の釣り舟」西行
「象潟や雨に西施が合歓の花」芭蕉
「汐越や鶴脛ぬれて海涼し」芭蕉
- 芭蕉が引用した西行作品
- とふ人も思ひ絶えたる山里のさびしさなくば住み憂からまし(嵯峨日記)
- 山里にこはまた誰を呼子鳥ひとり住まむと思ひしものを(嵯峨日記)
- 年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山(野ざらし紀行)
- 象潟の桜は波に埋れて花の上漕ぐ海士の釣り舟(奥の細道)
- 願はくは花の下にて春死なむそのきさらぎの望月のころ
- ゆくへなく月に心のすみすみて果はいかにかならんとすらん
- 心なき身にも哀はしられけり鴫たつ沢の秋の夕暮
- なげけとて月やは物を思はするかこち顔なるわが涙かな
- 古畑の岨(そば)のたつ木にゐる鳩の友呼ぶこゑのすごき夕暮
- み熊野の浜木綿おふるうらさびて人なみなみに年ぞ重なる
- 猿蓑
晋其角序
俳諧の集つくる事、古今にわたりて此道のおもて起べき時なれや。幻術の第一として、その句に魂の入ざれば、ゆめにゆめみるに似たるべし。久しく世にとゞまり、長く人にうつりて、不變の變をしらしむ。五徳はいふに及ばず、心をこらすべきたしなみなり。彼西行上人の、骨にて人を作りたてゝ、聲はわれたる笛を吹やうになん侍ると申されける。人に成て侍れども、五の聲のわかれざるは、反魂の法のをろそかに侍にや。さればたましゐの入たらば、アイウエヲよくひゞきて、いかならん吟聲も出ぬべし。只俳諧に魂の入たらむにこそとて、我翁行脚のころ、伊賀越しける山中にて、猿に小蓑を着せて、俳諧の神を入たまひければ、たちまち断腸のおもひを叫びけむ、あたに懼るべき幻術なり。これを元として此集をつくりたて、猿みのとは名付申されける。是が序もその心をとり魂を合せて、去来凡兆のほしげなるにまかせて書。
元禄辛未歳五月下弦 雲竹書
平安時代私家集(重田仁美 氏) リンク切れ
- 三浦三崎ひとめぐり
- スーの文学館
- 「今物語」前右京権大夫信実朝臣
十八 伏見中納言といひける人のもとへ西行法師行て尋けるに。あるじはありきたがひたる程に。さぶらひの出て。なにごといふ法師ぞといふに。えんにしりかけて居たるを。けしかるほよイうしのかくしれがましきぞと思ひたるけしきにて。侍共にらみをこせたるに。みすのうちに箏の琴にて秋風楽をひきすましたるを聞て。西行此侍にもの申さむといひければ。にくしとは思ひながら立寄て何事ぞといふに。みすのうちへ申させ給へとて。ことに身にしむ秋の風かなといひでたりければ。にくきほうしのいひご頬骨とかなとて。かまちをはりてけり。西行はふはふ帰りてけり。後に中納言のかへりたるに。かゝるしれ物こそ候つれ。はりふせ候ぬとかしこがほにかたりければ。西行にこそありつらめ。ふしぎの事也とて。心うがられけり。此侍をばやがておひ出してけり。
四二 西行法師が陸奥のかたに修行しけるに。千載集えらばると聞て。ゆかしさにわざとのぼりけるに。しれる人行あひにけり。此集の事ども尋聞て。我よみたる。
鴫たつ沢の秋のゆふ暮
といふ歌や入たると尋けるに。さもなしといひければ。さてはのぼりてなににかはせんとて。やがて帰りにけり。
- 網迫のホームページ
- 日本文学学術的電子図書館
甲南女子大学 菊池真一研究室の菊池先生の運営するアーカイブです。
- 「二日物語」幸田露伴
- 「猿蓑」向井去来/野沢凡兆
猿蓑 乾坤
晋其角序
誹諧の集つくる事、古今にわたりて此道のおもて起べき時なれや。幻術の第一として、その句に魂の入ざれば、ゆめにゆめみるに似たるべし。久しく世にとゞまり、永く人にうつりて、不変の変をしらしむ。五徳はいふに及ばず、心をこらすべきたしなみなり。彼西行上人の、骨にて人を作りたてゝ、声はわれたる笛を吹やうになん侍ると申されける、人には成て侍れども、五の声のわかれざるは、反魂の法のをろそかに侍にや。さればたましゐの入たらば、アイウヱヲよくひゞきて、いかならん吟声も出ぬべし。只誹諧に魂の入たらむにこそとて、我翁行脚のころ、伊賀越しける山中にて、猿に小蓑を着せて、誹諧の神を入たまひければ、たちまち断腸のおもひを叫びけむ、あだに懼るべき幻術なり。これを元として此集をつくりたて、猿みのとは名付申されける。是が序もその心をとり魂を合せて、去来凡兆のほしげなるにまかせて書。
元禄辛未歳五月下弦 雲竹書
- 半魚文庫
- 啄木勉強ノート(松尾昭明 氏)
- 「我が四畳半」石川啄木
「今より六代の前、報恩寺に住持たりし偉運僧正が浄書したりと云ふ西行法師の山家集、これは我が財産中、おのれの詩稿と共に可成盗まれたくなしと思ふ者なり。」
- Hiroo Saga(佐賀啓男 氏)
- 「義経伝説」 佐藤弘弥氏のページ
- 平泉雑記 相原友直著
「とりわきて心もしミてさへそわたる衣川見に來るけふしも」
「衣川汀によりて立浪は岸の松かね洗ふなりけり」
「きゝもせすたハしね(束稲)山の櫻花よし野ゝ外にかゝるへしとハ」
「奥になを人見ぬ花のちらぬあれや尋越らん山ほとゝきす」
- 西行が平泉にいる風景 佐藤弘弥氏オリジナル 連載中!
- ★江戸川学園取手中・高等学校★高3医科歯科クラス
- 11月ポイント学習 【ステップアップ問題】次のステップアップ問題は定期試験の出題範囲となります。しっかり取り組んでおいて下さい。
西行法師東の方修行しけるとき、月の夜武蔵野を過ぐることありけり。ころははづきあまりなりければ、昼のようなるに、花の色々露を帯び、虫の声々風にたぐひつつ、心も及ばず。はるばると分け行く程に、麻の袖もしぼるばかりなり1にけり。ここは人の住むべくもあらざる野中に、ほのか2に経の声聞こえ、いと3あやしくて、声を尋ねつつ行きてみれば、わづかに一間ばかりなる庵あり。萩、女郎花を囲ひにして、薄、かるかや、荻などを取りまぜつつ、上には葺けり。その中に、年たけたる涸れ声にて、法華経を綴る読む、いとめづから4におぼえて、「5いかなるひとのかくては」と問いければ、「我は昔、郁芳門院の侍の長なりしが、隠れさせおはしましし後、やがて6様を変えて 、人に知られざらんところに住まん志深くて、、いづちともなく徘徊ひ歩き侍りしほどに、7さるべきにやあらん、この花の色々を8よすがにて、野中にとまり住みて、おのづから多くの年を送り、もとより( A ) の草を心に染め侍りし身なれば、花なきときはその跡をしのび、このごろは色に慰めつつ愁はしきこと侍らず。」と言ふ。これを聞くに、ありがたく哀れ9に覚えて、涙をおとして、さまざま語らふ。「さてもいかにしてか月日を送り給ふ」と問えば、「おぼろけまにては、里などに出づることもなし。おのづから人の哀れみえを待ちて侍れば、四五日空しきときもあり。大方は、この花の中にて煙り立てんことも本意ならぬように覚えて、常にはなべての朝夕のさま10にはあらず。」とぞ語りける。いかに心澄みけるぞ、うらやましくなん。
- 「幽玄亭」 ぴっぴ★山本氏のページ
- 創作時代小説「名月記」
- (四)十三夜
壱 和歌の浦波
円位上人が如月の望月の頃、見事な最後を遂げられたと聞いたのは、いつの頃だったか。もともとそれを口癖のようにいっていたのだから、本望であったろう。
実のところこの人の事ではいい加減、うんざりしていたのである。