Title  漢字百話  Section  X 漢字の問題  Subtitle  91 緑の札  Description  たぶん昭和五、六年のころであったと思う。朝日新聞の夕刊に、『緑の札(グリーン・カード)』という、五十年後の社会を描く未来小説が連載された。懸賞小説の応募作品である。主人公は、企業欲にとりつかれた汎太平洋航空の女社長である。その息子は生命の神秘にいどむ若い科学者で、自分の愛人を実験台に使って仮死状態に陥らせてしまい、危く恩師の手で救われる。一夜荒れ狂う洋上で雷撃を受けた自社の大型旅客機が墜落して、事業は破綻し、家族のことなど見向きもしなかった女社長は、はじめて人間的な愛情にめざめるというような筋であったと思う。それからもう五十年に近いころであるが、いまならばどこかにこのようなことがあっても、あまりふしぎでもないような設定である。  この話を私が記憶しているのは、そのなかに出てくる人物の会話が、まるで電報のようにカナ書きされ、自然言語の性格を失った、全く記号に近いようなそのことばの異様さが、特に注意をひいたからであった。当時、わが国や中国の古代のことを何かと考えようとしていた私には、この設定はそらおそろしいものであつたが、漢籍の教養が急速に衰退しつつあった当時のわが国の状況を考えると、ありえないことでないとも思った。この小説の未来は、いま確かに現実としてある。そして漢字は、ある研究者によると、この数年来の減少速度を延長して考えると、遠からずして滅びる運命にあるということである。漢字とカナ書きの比率も逆転の傾向にあるとされる。遠からずして、カールグレンが勧告したような状熊になるのかもしれない。  カナやローマ字は一体文字であろうか。もしことばをしるすものが文字であるとすると、それはことばをしるすものではない。本や book はことばであるが、ホンや hon は音をならべただけで、十分な単語性をもつものではない。単語としての特定の形態をもたないからである。「形による語」をアランは漢字に対する軽蔑的な意味に用いたが、形のないものは本当は語ではありえないのである。  大学の規模が巨大となり、多くの学生をもつ大学では、すべてコンピューター・システムをとるために、学生はみな番号とカナタイプで示される。出席簿もその形式である。この名簿を使っていると、いつまでたっても学生の映像が名と結びつくことがない。「影を失った男」のような奇妙な空虚さを、免れることができない。あるいは、影を失うべき形すらないという抽象の虚しさが、人を困惑させるのである。カナの世界では、おそらくこの影をもつこともできないような文字空間が、人びとを支配するようになるだろう。  漢字は形体素の集合であるから記憶しやすく、識別が容易であり、千分の一秒の閃光でも、漢字の映像は把握できることが、実験的にも知られている。おそらく文字記号として、これほど瞬間把握力のすぐれたものは他にあるまい。漢字にはなお識られていない可能性が、多く含まれているように思われる。  End  底本::   著名:  漢字百話   著者:  白川 静   発行所: 中央公論新社   発行:  2002年9月25日 初版発行   国際標準図書番号: ISBN4-12-204096-5  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: IBM ThikPad s30 2639-42J   入力日: 2003年7月21日  校正::   校正者: 大黒谷 千弥   校正日: 2003年08月01日  $Id: kanji100.txt,v 1.6 2005/09/16 02:35:24 nitobe Exp $