お待たせしました。日本天文学史だ!
天地明察「明察」なりや? みよこさん (京都府) 2010/4/11 のカスタマーレビュー
みよこさんの意見を要約すると以下の通り。
====以下www.amazon.co.jpより引用、要約
1、渋川春海は地動説をうけいれていたのか?
2、著者は緯度と経度をとりちがえているのではないか?
3、渋川春海はケプラーの第1、第2法則を発見したのか?
4、著者は「宣明暦」や「貞享暦」等の二十四節気の配置法が平気法であることを知らないのではないか?
====以上引用 詳細はamazonの該当ページを参照のこと。
問題の記述箇所
====以下「天地明察」第五版より引用
1.P123====以上引用
中国(清国)でも地動説に疑問の余地はなく、当然、日本でも天文観測に特に長けた一部の者たちにとっては常識だった。
2.P442
授時暦が作られた中国の緯度と、日本の緯度、その差が、術理の根本的な誤差をもたらしていたことを実証したのである。北極星による緯度の算出、その”里差”の検証、さらには漢訳洋書という新たな視点によって、その誤謬が確実なものとなった。
3.4.P442-P443
近日点通過のとき、地球は最も速く動く。逆に遠日点通過のときには、最も遅く動いているのである。これは、たとえば秋分から春分までがおよそ百七十九日弱なのに対し、春分から秋分までは、およそ百八十六日余であることから、実は既に明らかになっていることでもあった。後世、”ケプラーの法則”と呼ばれるもので、この近日点通過と、遠日点通過の地点もまた、徐々に移動していく。となると、地球の軌道はどんな形になるか。太陽を巡る楕円である。
「……そんなばかな」
むむ。烈しく同意。
Wikipedia/地動説 /地動説と日本
徳川吉宗の時代(1716〜1745)にキリスト教以外の漢訳洋書の輸入を許可したときに、通詞の本木良永が『和蘭地球図説』と『天地二球用法』の中で日本で最初にコペルニクスの地動説を紹介した。本木良永の弟子の志筑忠雄が『暦象新書』の中でケプラーの法則やニュートン力学を紹介した。画家の司馬江漢が『和蘭天説』で地動説などの西洋天文学を紹介し、『和蘭天球図』という星図を作った。医者の麻田剛立が1763年に、世界で初めてケプラーの楕円軌道の地動説を用いての日食の日時の予測をした。幕府は西洋天文学に基づいた暦法に改暦するように高橋至時や間重富らに命じ、1797年に月や太陽の運行に楕円軌道を採用した寛政暦を完成させた。渋川景佑らが、西洋天文学の成果を取り入れて、天保暦を完成させ、1844年に寛政暦から改暦され、明治時代に太陽暦が導入されるまで使われた。Wikipedia/二十四節気 /分割法
二十四節気は当初、冬至を計算の起点にして、1太陽年を24等分した約15日ごとに設けられた。これを平気法や恒気法または時間分割法という。しかし、地球の軌道は円ではなく楕円であるため、太陽の黄道上での運行速度は一定ではない。そこで、中国では清朝の時憲暦から、日本では天保暦(1844〜1872)から、黄道を春分点を起点とする15度ずつの24分点に分け、太陽がこの点を通過する時を二十四節気とすることにした。これを定気法または空間分割法という。だが、SFヲタクとしては、多少の歴史の改竄なんて気にならない。だって伝家の宝刀「多元宇宙論」があるもんね。キョーレツゥ! チッチャイ事は気にするな!それ!ワカチコ!ワカチコ!
ってか散々気にしてるじゃぁねぇか!
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