Title  詩人西行  Author  中龍兒  Subtitle  西行前記  0001:  佐藤義清 紅花緑柳の洛陽に、决然袂を拂って、萬丈の紅塵を去り、弧影飄然として、白雲流水に伴なひ、宇宙を醒覺大觀して、一世に超脱奔逸せる、絶大詩人の生涯は、灑々慕ふべきものある也。 古松晩烟を罩むる、鴫澤の古道を尋ね、明月白浪を照らす、二見の漁村を音づるもの、誰か古詩人、西行の竒跡を想はざるものあらんや、彼の生涯は淡として、水の如く、彼の進退は、浮々然として雲の如し、彼は世に於て、驚天動地の亊業を爲さず、彼は世に於いて、光輝赫々の功名を立てず、是れ能はざるにあらず、彼れは爲すを欲せざる也。 鳴呼其の淡白、水の如き彼れが生涯、寧ろ傳ふるに、足らざるか、浮々然として雲の如き、彼れが進退、遂に語るに足らざるか、蓋し彼れの傳ふべく、語るべき所以のものは、彼れにあらずして他に在る也。  ************* 鳥羽院北面の武士に、佐藤義清なるものあり、是れ西行の前身なり、其の先は藤原家にして、鎭守府將軍秀郷の後胤なりと謂ふ、父は康清と呼び世々廷臣たり、義清幼より、學を好み、兼ねて又武藝に通ず、射術は彼れの最も、精熟せる所なり、好んで歌を詠ず、菅家紀家の書を讀んで、大に自得する所あり、召されて北面の武士に列す。彼の朝にあるや極めて忠義の士なりし也、彼は威儀端然として、鳳闕の廷に待し、日夜孜々として紫宸の床を守りたり、君寵亦凡ならず、光榮を得ること〓(尸/婁)々也、然れども、彼は君寵を得て驕るものにあらず、彼は光榮を得て、慢するものにあらず、虚心平然たる彼れは、君恩の辱じけ無きに、感銘するより他亊なかりき。 告人は當時の朝廷に於て二個の義清あるを認識す、詩人義清、武人義清是れ也。 清凉の月華、南殿の櫻雲、彼は自然に對して、限り無き其の錦心繍膓を絞りたり、英華の發する所、悉く金聲玉振なり、擧朝其の才藻に驚けり、蓋し詩人は彼の天成也、鳥羽院深く之を愛して、花鳥風月常に、之に侍せしむ、豈に啻に院の寵臣た子のみならんや、彼は實に滿朝の寵兒たりし也。 彼は詩に因つて、滿朝の寵兒たりし如く、彼は又武に因つて、滿朝の寵兒たりき、彼は祖先の遺烈を受け、彼は祖先の餘光を被むり、劍を舞はし、弓を射るの、妙技を感得せり、武士一たび劍を揮へば草木爲めに臥し、英雄一たび弓を揚ぐれば鳥獸立ろに斃る、武人としての義清は、勇壯又之に讓らざるの慨ありき。 要するに、義清時代は、僅かのみ少時のみ、彼が飄逸せる長生涯は、此の短時代を出でたるの時に始まる也、彼の彼たる所以は、此の時代に胚胎して、而かも此の時代に發せざりき、吾人をして、更らに彼れが後記に移らしめよ。  Subtitle  西行後記  0002:  圓位上人 武人として光榮多く、朝臣として、好譽高かりし、彼れ義清は、其の光榮其の好譽を擔ふを欲せざりき、人は美名を競ふて、虚賞を想ひ、世は利祿に迷ふて、權勢に趨むくの間、澹淡水の如き彼は、靜づかに諸行無常を悟り、徐むろに天地の大夢を觀じたり。 死は大覺也、生は是れ夢にあらずや、美名の裏には惡名あり、富貴の後には貧賤あり、斯かる相對的美名富貴は、人生又何の望みかあらん、人世若し夢なりとせば、人爵又是れ夢中の暇爵にあらずや、妻子珍寶吾に於いて、何かあらん、高位高爵將た何する者ぞ、唐の古詩人歌ふて曰く『天地は萬物の逆旅、光陰は百代の過客、而して浮世は夢の如し』(注2)と、〓(ロ喜)然り。 彼は天爵の重んずべく、人爵の輕んずべきものなるを、大覺頓悟せり、其の身に及ぶ光榮を以て、眞の光榮と爲さず、其の世に高かき好譽を以て、眞の好譽となさず、人は光榮令譽を得て、欣舞踊躍し、彼は光榮令譽を得て、厭世出離の心を増せり。 彼は朝に在るも、其の心常に山林に在り、彼は位に在るも、其の意常に、野に在りたり、是を以て彼れ朝を退きて、永く韜晦せんの志、深かれど、君恩辭するに由なく、妻子捨つるに忍びず、荏苒日を延ばして、其の意を果す、能はざりけり。 彼が出離の志は、卒然として起これるにあらず、一朝に萌芽せしにあらず、彼は生れながらにして、宇宙を大觀したる也、浮世を頓悟したる也、其の根底や既に深かし、恩愛豈に永く、之を覊束すべけんや。 卒然として、彼れが生涯の一變化は來たりぬ、彼は蠕虫より出でたる、鳴蝉の如く、其の聲に於て、姿に於いて、共に前身のものには、あらざる也、圓位上人は、彼れが蠕虫より出でたる、第二の變身にあらずや。 大治二年十月十餘日、天皇鳥羽殿に御行あり、殿中に於ける障子の繪を叡覽あり、經信、匡房、基俊、義清等を召して、障畫を題として、各々歌を獻ぜしむ、義清立ろに十首を獻ず其の歌に曰く、   春の雪積もれるに山の麓に河流れたる所を書きたるに  ふり積みし高峯の深雪解けにけり清きたき川の水の白波   山里の花の庵に聖の居て梅を詠ずる樣をかきたるに  とめこかし梅さかりなる我家をうときも人は折にこそよれ   花の下にて月を眺むる男  雲にまかふ花の下にてながむれば朧に月も見ゆるなりけり   夏の初め杜鵑を尋ねて山田の原の杉村たちの中に分け入りたる所をかけるに  聞かずともこゝを世にせんほとゝきす山田の原の杉の村立   ほと入ぎすの初音尋ぬる申斐ありて聞きたる所  ほとゝぎす高き峯より出にけり外山のすそに聲の聞こゆる   清水流るゝ柳のかげに旅人の休むさまを  道のへの清水ながるゝ柳かけしはしとてこそ立ち留まりけれ   秋の初風草葉を結ぶ下葉の露も置き所なく心細き所を  あはれ如何に草葉の露の氷るらん秋風立ちぬみやぎ野の原   山田もるいほのほとりに鹿の鳴きたる所  小山田のいほ近かく鳴く鹿の音に驚かされて驚かしけり   小倉山の楓嵐にさそはれ月さやかなる所をかきたるに  小倉山麓のさとに木の葉散れば木末にはるゝ月を見るかな   高き山に雲かゝり打ち時雨れたる風情  秋しのや外山のさとやしぐるらん生駒のたけに雪ぞかゝれる 才藻涌くが如くに、流出せり、御感淺からずして、其の才を嘉みし給ひ、朝日丸の名劔を賜ふ、詩人の光榮、豈に之に如くものあらんや、彼は廷寮に面目を施こし、親戚故舊に、令譽を得たり、此の夕彼は、自宅に歸れり、妻子親族、相集つまりて、其の光榮を祝福し、欣喜せり。 世に對して瀟洒水の如き彼れは、令聞光譽を以て、其の心を動かさゞる也、妻子の之に喜び、親戚の之を祝するを見て、彼は一片の微笑をだも、輿へざりき、葢し人は名利に汲々たるの間、彼は愈よ、高名神の惡くみに迫まる、所以の理を感愴し、世外に超然たるの觀念を、深かく腦裡に印したり。 『いつの間に長き睡りの夢醒めて驚くことのあらんとすらん』(注2)是れ彼が、當時腦中に、深かく浸染せる、思想にあらずや、彼れは生死長夜の夢を觀ぜり、妻子珍寶の幻の如きを悟れり、出離の念愈よ急にして、今は只底止する所を知らざる也。 此の夜、月光霜の如く、露滴珠に似たり、彼は其の族憲康と、相携さへて、家を出づ、朔風寒を吹いて、胡笛月に聲あり、過雁迥かに、天邊に悲鳴し、轉た天地に無常を觀ぜしむ、憲康顧みて、義清に語りて曰く、吾菖先祖秀郷は、孤劍東域を鎭めてより、久しく朝家の守護となり、長く天下を鎭づめたり、吾れ等今帝に至るまで、君恩に沐浴して、光榮令譽を施さず、想ふに浮世は夢の如し、今日ありて、又明日あるを知らんや、生死は雲の如く定亊なし、吾れ等の生命又保する能はざる也、願はくば出家變姿して、青山白水の間に隱くれん、汝以て如何と爲すや、 彼の語や頗る悽絶、彼の意や實に沈痛なりき、義清聞いて竦然たり、愁然たりき、然らざるも、彼の意は既に、出離の情、切なるにあらずや、今や此の神聖冷痛なる、憲康の言を聞き、彼れは聖僧の説法を聞けるが如く、久しく腦裡に印せる、出離の情は、此の一語と共に流れ出でんとせり。 此の夜は彼れ憲康と、袂を分かちて歸れり、翌朝起きて、憲康の邸に至る、哭聲あり門に聞こゆ、彼審しんで、入り問へば、昨夜月前に人生を語れる、憲康は、遂に沒して黄泉の客とはなれにき、老母七十妻十九、慟哭措く所を知らざる也。 扨ても人世の敢果なきかな、憲康昨夜愁然として、人生の頼むべからざるを論じ、今は遂に其の論中の人となりぬ、語猶ほ彼の耳に殘こりて、其の人遂に空し、誰れか之を聞いて、無常を感ぜざるあらんや、况んや彼の如き、出離の念、深く腦裡に浸染せるものに於いてをや。 『朝有紅顏誇世路、夕成白骨朽郊原』(注3)とは、人世の敢果なきを歌へるもの、彼れは憲康の死に於て、其の理想を現實せしめたり、其の信仰を鞏固にしたり、彼は世路の無常を信じて疑はず、迷霧忽然として霽れ、出離の心をして、更らに偉大ならしめたり、  越にぬれは又も此の世に歸り來ぬ死出の山路そ悲しかりける  年月をいかてわか身に送くりけん昨日見し人今日は無き世に  世の中を夢と見る/\敢果なくも尚ほ驚ろかぬ我心かな 是れ彼が、憲康の死を棹みて、巳れの思想を發輝せる、歌にあらずや、其の聲の哀れむべく其の韵の悲しきは、彼れが至誠中心より出づるの致す所也。 斯くして其の信仰を鞏固にせられたるの彼れは、今は出家得道して、白雲流水に伴ふの心緒頻きなり、其の憲康の家を辭するや即ち染衣剃髮せんとせり、然かも恩愛の情、又忘るゝ能はず、一たび龍顏を拜して、皇恩の二無かりしを謝し、然して後、心靜つかに、此の世を捨てんと決心せり、彼れは恰かも、武士が戰塲に赴くの時、其の君に別かるゝが如く、剛氣なる决斷を以て鳥羽殿に奔れり、 頭辨をして、出家の義を傳奏せしめ、巳れは獨り禁中を出でたり、彼れが出家せんと企てたる、爰に幾回なるを知らず、常に君恩に覊がれて、其の意を遂ぐる能はず、今こそ再び思ひ止まるべからずと、彼は決心鐡の如くなれり、然りと雖ども、人情豈に遽かに、斷ずべけんや、然しも心をして冷然石の如くならしめたる、彼れ義清も、花間に戲れし宴遊、月前に樂しみける昔思へば、又今更らの涙無き能はざる也、彼は遙るかに、仙洞御所を願望して、熱の如き涙を拂へり、  押しなへて物を思はぬ人にさへ心をつくる秋の初風 彼は秋風に對して、其の遣る瀬なき、心の本懷を訴へたるにあらずや、  世の憂さに一方ならす浮かれゆく心とゝめよ秋の夜の月  物思ひて眺むる頃の月の色にいかはかりなる哀れ添ふらん 然り彼の斷膓は、實に斯くの如くなりし也。 彼は人情斷つべからざる、君臣の愛を、絶大なる勇を以て斷ち、數行の紅涙を、仙洞御所に灑いで、决然其の哀別を歌ふて歸れり、思ふに彼れが心緒、又云ふべからざるものありしなるべし。 涙痕尚ほ未だ乾かず、彼は其の馬に鞭つて、家に歸へる、俄然として决心鐵の如き、彼れが心緒を紛々たらしむるもの來れり、嗚呼冷然灰の如き、彼れの心をして、再び熱火に導びかんとす、彼の歸るや、四歳の愛女、〓(口喜)々然として、父の歸宅を迎へ、嬰語喋々無心を語る、他人の幼兒すら、其の無心に笑らひ、無邪氣に吾を慕ふに至つては、豈に遽かに之れと絶つべけんや、况んや其の愛女に於いてをや、快麗天の如き、彼れの愛女は、眞如の月の如き、無垢無心なる、愛を以て、其の阿爺を迎へたり、彼は其の冷然たる心を以て、之を眺めたり、紅楓の如き其の手、蕾花の如き其の顏、慕ふが如く懷つくが如き其の態、神聖美妙なる、人間の愛情は、悉く此の裡に籠れるにあらずや。 花の如く雪の如き、愛女の天眞は、暮鐘の花影を散ずるが如く、彼れが冷寂沈靜せる、心猿をして、攪亂せしめんとせり、彼れは其の愛女の、掬すべき愛情の爲め、幾回となく其の、出離を抑遏せられたりき、然りと雖ども、彼が决心既に鐵の如し、今や彼れ愛女の無心なるを見て、吾が道心を破ぶるもの、是れなりと知れり、可憐なる此の乙女、實に人間の寵兒にして、道心の仇敵なりしなり、彼れは人間を輕んじて、道心を重んずるの結果、遂に其の心を鬼の如く、惡魔の如くならしめたり、蓋し彼れ其の人間に、惡魔なるは、道心に無二の忠義なりと、觀じたれば也。 天眞月の如く、無心花の如き、寵愛の乙女、骨肉を分けたるの愛女、更らに恩愛の絶つべからざる、覊束を絶ちて、彼れは死灰の如く、其の心を冷却ならしめたり、其の喜こんで、阿爺を呼び、袖袂に纏縋して、欣然たる幼兒を觀、彼れは無慈悲にも、足を揚げて、之を蹶破したり、蹶つて而して、之を床下に巓墜せしめたり、紅葉は風に飛び、落花は雨に亂る、風雨何ぞ夫れ、冷酷無殘なるか。 彼は佛身とならんが爲めに、惡鬼となりたり、彼は天國に至らんが爲めに、惡魔となりたり、彼は絶對の愛を得んが爲めに、相對の愛を捨てたり、而かも其の愛を捨つる、彼れが當時の心情に至つては如何、悲痛、哀別、苦心、悶情、交も%\彼れの身を責めて、攪亂更らに攪亂を重ね、紅涙又紅涙を、中に飮みたるや、蓋し疑ひ無かるべき也、  露の玉消ゆれは又もあるものを頼みも無きは我か身なりけり 彼は斯く觀念し、悟了し、遂に其の妻子珍寶を捨てたり、遂に其の恩愛の情を絶ちたり、彼れは仙洞に血涙を灑ぎ、妻子に熱涙を揮ふて、其の涙を爰に、悉くし、其の血を爰に涸らしめたり、血と涙とを灑ぎ盡くしたるの彼れは、是に於いてか、勢い猛然として、其の心を已れの欲する所に向はしめたり、  ******* 秋風嵯峨野の天地を掃ふ時、圓頂染衣の人、其の眼秀いで、其の口閉ざして、靜づかに天地の、玄理を觀ずるものあり、彼は其の最愛の妻兒を捨て、其の君恩の重大を捨て、光榮を捨て、名譽を捨て、涙を捨て、血を捨てたる、北面の武士佐藤義清が、剃髮染衣の姿也、春秋僅かに、二十三、圓位と稱し、西行と呼ぶ、  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  うけかたき人の姿にうかひ出てこりすや誰れも又しつむへき  世を捨つる人はまことに捨つるかは捨てぬ人こそ捨つるとはいふ  世を厭ふ名をたにも又とめ置きて數ならぬ身の思ひ出にせん  〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  Subtitle  旅行家西行  0003:  天然と人 旅行は克く、人をして自然と同化せしむ、〓(しんにゅう+(施−方))〓(しんにゅう+麗)【いり】たる山、潺湲【せんかん】たる流、柳烟花雲、長亭曲浦、或るものは、清爽、或るものは高潔、或るものは美麗、或るものは快豁、皆是山自然と同化せしむるものにあらずや、 澗溪の音、淙々として、琴を彈ずるが如く、玉を弄するが如く、柳絲清影を傾けて、艷姿風に翻へるに至つては、自然の美、風光の妙、更らに天地の、人間にあらざるを、悟る也秋風明月の夜、草葉玉露を跳らしめ、天空雁字を並ぶるに至つては、天地の精妙、爰に至つて、筆す着 べからざるもの、あるにあらずや、若し夫れ草原の寒月、山間の清風に至つては、人をして殆んど、自然と一致せしむる也、 山水秀靈の地、能く偉人を生ずと謂ふ、是れ豈に、山水秀靈の地、克く自然と同化しむる、所以にあらすや、昔しは林氏、梅花深き處に、其の身を置き、神韵髣髴として、遂に梅に類す、英雄一たび、高山大澤をばっ跋渉せば、人其の英雄と、高山大澤とを辨ずる能はざるべし、詩人一たび、煙景霧光を經由せば、人其の詩人と煙景霧光とを、區別し能はざるべし、蓋し自然の日化、彼れと是れと、倶に一致せしむる所以に外ならざる也。 心雲水に等しく西行は、其の瀟洒なる意思と其の淡々たる理想とを以て、漫に天下を逍遙したり、山水風月の自然を、呻吟したり、彼の心や自然に類す、其の自然に類せる資を以て、彼は更らに、自然と一致せんことを勉めたり、旅行家として、行脚として、彼山は其の凡べての、法を行なひたり。 彼は其の健脚を誇らんが爲めに、天下を周遊したるにあらず、彼は其の名山大川を、知らんが爲めに、山河を跋渉したるにあらず、將た又彼は、或る意味の、宗教家の如く、靈地佛地を、祟拜せんが爲めに、行脚旅行したるにあらず、要するに、彼れの旅行や、修行也、其の自然と一致せんが爲めの修行也。 千仭の溪を下り、百尺の崖に上り、崇高莊重なる、自然の空氣を吸ひ、明媚なる風光に逍遙し、清冽なる水邊に彷徨して、美妙なる自然の感觸を受け、花に月に、山に水に、吸入し吐出し、以て彼は自然に、出入せり而して能く同化せんと勉めたり、衣を千仭の岡に振ひ、足を萬里の流れに、洗ふもの、豈に啻に能く走りし、能く歩むの謂ひのみならんや。 嵯峨野の奧に、朝思暮想すること、僅かにして、彼は飄然として、出で去れり、彼れの眼中、既に自他なし、常住なし、萍草の東泛西流するが如く、彼れは又白雲の、風に從ふて、進退せり、是に於いてか、彼は眞個にこれ、天地に於ける、萍草の如く然かりし也。 彼れ其の始め、東國遍歴に、意を定めたり、孤影飄然として、洛陽を出で、去つて遂に二見が浦に至る、碧波瑠璃の如く、蘆荻月を貫いて、神來の興あり、依つて爰に、草庵を結び、高潔の氣を養へり、彼に親しく教を乞ひける、蓮阿なるもの、其の當時彼れが草庵の光景を、記して曰く、  西行上人二見浦に草庵を結びて、濱荻を折敷たる樣にて、あはれなるすまゐ、見るもいと、心すむさまなり、大精進菩薩の、草を坐とし給へりけるも、かくやと覺えき、硯は石のわざとにはあらで、もとより水入るゝ所など、凹ぼみたるを置かれたり、和歌の文臺は、或時は花かたみ、或時は扇やうの物を用ゐき、歌の亊を談ずとても、其のひまには、一生幾ならず來世近きにあり、といふ文を坐臥にもいはれし、あはれに貴とく覺えしが、今も面影の餘波絶江ぬなり、忘れ難し。 之を讀むものは、宛然彼れを活現し來るにあらずや。 形骸を外にせるの彼れは、所謂自然を樂しめり、其の濱荻を敷きたらんが如き、低狹なる草蘆に、彼れは安臥靜想したる也、磊々たる自然石を以て、硯となし、扇を以て文臺となせるが如き、何ぞ清秀高潔なる生活ぞ。 彼は暫らく爰に留まりて、其の詩想と、自然心とを養へり、煙波漂渺として、水光天に接し、更らに明月を得て、全鱗鑄鱗を碎くに至つては、何ぞ自然に同化せざるを得んや、是に於てか、彼は果然、其の自然を歌へり、  波こすと二見の浦の見えつるは木末にかかる霞なりけり 煙波霞の如く、霜煙波の如き、自然の光景は、彼れに一種のインスピレーションを與へたるや、疑ひ無し、遇然來たり、遇然爰に留まりし彼れは、自づからもし其の偶然なるに驚けり、  思ひきや二見の浦の月を見て明け暮れ袖に浪かけんとは 彼は神聖なる、伊勢の靈宮に參し、華麗なる櫻の宮に叩頭し、森嚴なる月讀宮に九拜し、心意をして、更らに高遠の境ひに、入らしめたり、洛陽紘塵の衢を去つて、清淡秀麗の此の地に遊ぶ、清想油然として、涌かざらんや、  岩戸あけしあまつみことの其のかみに櫻を誰れか植ゑ初めにけん  神路山見しめにこもる花さかり、こは如何はかり嬉れしかるらん  此の春は花を惜しまてよそならん心を風の宮にまかせて 彼は其の月讀宮に至り、明月高かく樓殿を照らすを見、自然の琴線に感觸して、其の清韵を洩らしたり、  木末ゑ見れは秋にかきらぬ名なりけり春面白き月よみの宮  さやかなる鷲の高峰の雲により影和くる月よみの森 飛花蝶影、東風薫じ渡るの處、春は人をして、自然の境に至らしむ、彼は櫻の宮に、彷徨して、花に心を奪はれたり、  神風に心やすゝにまかせつる櫻の宮の花のさかりを 花鳥風月の自然を伴侶として、彼れは山水の間に眠むれり、晨には緑波帆影に、眼を洗らひ、夜は鼕々たる波を枕とし、草庵に孤座して、目然を樂しむこと、爰に三歳、雲霞の癖は彼を驅つて、又爰を出でしむ。 孤〓(竹/エ+(叩−口))【きょう】單影、彼の二見の草庵を辭せんとするや、歌弟子等來たりて、別れを惜しむ、彼は平然として、歌ふて曰く、  君もとへ吾も忍はん咲きたくは月を互みに思ひ出てつゝ 斯くして彼れは、三年住居の草庵を、秋天の雲の如く、見限りて孤影飄然として、東に向ふ。 灣々の明月、浦々の煙柳、或は竒嶇たる山岳を攀ぢ、或は滔々たる、激流を渉り、草に寢ね鳥に起き、身を烟霞白雲に委して、天然の光景を、眺めつゝ、遂に小夜の中山に至る、繍膓抑ゆるに忍びず、又發して金聲となれり、  年たけて又越ゆへしと思ひきや命なりけり小夜の中山 更らに歩んで、駿河に至り岡部に着す、廢宇古堂あり、即ち之に入る、遇ま後ろを顧みれば、破笠あり壁間に掛れり、取つて之を檢するに、『我不愛身命但惜無上道』と書せり、不思議なるかな、此の笠、彼は先年洛陽に在るの時、其の友の東國に出づるが爲めに、紀念として、書し與へたるは、此の笠なり、此の持主こそ即ち其の人なれ、隣人に就いて、詳しく之を尋ぬれば、其の人既に死せりと云ふ、彼は更らに人生の敢果なきを觀じ、懷舊の情禁ずる能はず、悲歌一篇、其の亡跡を吊へり、  笠はあり其の身はいかになりぬらんあはれ敢果なき天の下哉 其の遺物存して、其の人遂に空なし、人間の悲哀此に至って、極まれり矣。 彼は端なくも、亡友の遺跡を吊ふて、一掬の紅涙漸く人間に近づかんとし、更らに又出でゝ自然の天地に向ふ、秋風旅衣を振ふて、天地又寂寞、行路迥かにして、其の涯なし、落葉は片々として、彼の前途に翻へれり、枯草は蓬々として、彼身邊を繞ぐれり、朝に途を求むれば、草虫の悲鳴あり、暮れに江畔を呻へば、晩鐘の哀れを告げ渡るあり、俳徊顧望、彼は又秋の自然と一致せんとせり、  秋立つと人は告けねと知られけりみ山のすその風の景色に 自然は遂に人をして、秋立つを知らしむ、彼は自然に一致し、光景に一致し、其の深山の風の景色に由つて、秋光の人間に至れるを、推知せる也、  覺束な秋は如何なる故のあれは坐ろに物の悲しかるらん  白雲を翼にかけて飛ふ雁の門田のおもの友慕ふなり 秋風に趁はれて、彼れは更らに清見が關に至れり、遙かに望めば、萬頃の煙波、渺として際涯なく、汀渚の岩角、彼を碎いて、白雪を飄へすに似たり、若し夫れ夕日落ちて、圓月天に懸り、影金鱗を碎くに至つては、白露水光、清瑩何ぞ堪へんや、彼れ即ち歌ふて曰く、  清見かた沖の岩こそ白浪に光りをかわす秋の夜の月 猶ほ旦つ、孤影駿河に入り、富岳の天空に、巍然たるを望む、半山雲に呑まれて、天に入り、山影は漫々たる蒼海に望めり、彼れ既に京を出でゝ、幾閲月、草に寢ね、石を枕とし、旅愁覊情、謂ふに忍びざるものあり、今や此の天空快豁、雄壯偉大なる富岳に對し、愁意倏然として霽れ、心氣更らに清爽、怡然として、二歌を詠ず、 風になひくふしのけふりの空に消ゑてゆくゑも知らぬ我思ひかな いつとなき思ひはふしの煙にてまとろむつとや浮き島か原 心を高豁なる富岳に澄まし、彼は更に歩を進めて、足柄山に上ぼる、實方中將が『名も足柄の山なれば』と詠じたる、即ち此の山なり、白霧山深くして、鳥一聲、秋風一掃、轉た悲哀に堪へざるものあり、  山里は秋の末にそ思ひしるかなしかりけり木からしの風 相摸國とか見が原を過ぐるに、野原の露のひまより、風に誘はれ、鹿の聲聞こゆ  いわまとふくすのしけみにつま込めてとか見か原に牡鹿鳴くなり 此の夕暮、彼は澤邊の鴫、飛び立つを見て、  心なき身にも哀れは知られけり鴫立つ澤の秋の夕暮 彼は愈よ進み、月の光りに誘はれて、遂に武藏野に、呻吟せり、只見る廣漠たる原野茫々として、草より出でゝ、草に入る、月の色さへ、更らに澄めり、關八州の風、陣々として、野草枯荻を吹き、玉露亂れて、金を撒くに似たり、彼れ其の清光爽麗に、心を奪はれ、呆然として、仙の如く、羽化する如く、草原の中に、彷徨せり家なく、宿なく、孤影悄然として、其の天然に化し去らんとせり、此の絶景に彼は、行くを忘れ歸るを忘れ、其處とも無く、逍遙するに、道より五六町差し入りたる所に於いて、一點の燈火を認めたり、斯の如き所にも、人家はありけりとて、彼れが足は、既に之に向へり、時に聞く、玲瓏たる讀經の聲、朗らかに戸外に洩るゝあるを、清光佳景に、腦を撃れたるの彼れは、再び此の壯嚴なる聲に、耳を貫けり。 聲ある方に、踵を廻ぐらせば、一の柴庵あり、蓬草庭に滿ちて、人の掃ふなく、千草の花露に傾きて、虫鳴喞々として、訴ふるある如し、彼れは扉外に立ちて、之を窺へば、内には年耳順を越えたる、老僧の机に對して、一意讀經するあり。 彼は草原に伴侶を得たり、紛々たる塵俗又共もに語るに足らず、只思ひを山川風月に馳せて、一代の伴侶とせるに、今や同志の一友を得たり、何ぞ默々として、去るべけんや、即ち入りて、情誼を通ぜり、塵俗を離れたる、武藏野の中、世を捨て、人を捨て、心は高く天空に登りたる、二個の心影、月に坐して、天を語る。 草庵の主は、誰れぞ、其の昔、郁芳門院の、侍の一臈なりしが、女院隱くれてより、世の無常を感じ、出家得道して、洛陽を辭せり、爰に住むこと、既に六十餘年、今殆んど、九旬に近かゝらんとす、其の韜晦高踏の意、既に彼れと、相伯仲せり、快談何ぞ、相怡ばざるあらん、昔を談じ今を語る、意氣更らに昂然たるあり。 彼れは通宵、老僧と快談して、翌日直ちに、此處を出でたり、發するに臨み、彼は別辭を留めて曰く、  いかて我れ清くくもらぬ身となりて心の月の影をみかゝん  いかゝすへき世にあらはこそ世をも捨てゝあなうの世やと更らに厭はん  秋はたゝ今宵はかりの名なりけり同し雲井に月はすめとも 翌日彼れは白河の關を越ゆ  白河のせきやを月の洩るからに人の心を留むるならけり 扨ても、彼れは白河の關を越ゑ、行くこと數日、遙かなる野中に、行き暮れて、賤づが伏せ屋のありたるに、立ち入りて、一夜を明かさんとせり、夜深かくして、月光淋びしく、覊情堪ゆべからざるものあり、彼れ即ち口吟して曰く、  みやこにて月をあはれと思ひしは數にもあらぬすさひなりけり 小陵あり草原離々として、人路絶ゆ陵上、斷碑あり、誰れの塚ぞと問ふ、野夫答へて曰く、これ實方中將の塚なりと、彼れ聞きて、潛然涙を流がし、低回去るに忍びず、一篇の悲歌以て、其の靈魂を吊ふ、  朽ちもせぬ其の名はかりを留め置きて枯野のすゝきかたみにてみる  敢果なしや仇に命の露消江て野べにや誰れも送くり置かれん、 彼の孤影飄然として、又陸奧に入る、彼れは其の當時、遭遇せる竒亊を、自から記して曰く、  そのかみ陸奧國のかたへ、さすらへ罷かりて、侍りしに、しのぶの郡、葛の松原とて、人里遠く離れたる所侍べり、ひとへにもあらず、又ひたふる野ともいふべからず、小いさき岡と見えて、木草よしありて、繁げり、清水四方に流れ散れり、世を窃かに逃がれて、此の郷のほとりに、住みたき程に、見え渡たり、やうやく奧さまに、尋ねいたつて侍べるに、松の木の繁げる下に、竹の笈と、麻の衣と殘りて、其の身はまかりぬと覺ゆる所あり、如向なる人の跡ならんと、先づ悲しう覺えて、見るに、側なる松の木を削つりのけて、斯くかきたり、昔しは應理圓實の覺徒としては、公家の梵莚に連なり、今は諸國流浪の乞食として、終りを葛づの松原にとる、  世の中の人には葛の松原と呼はるゝ名こそ嬉れしかりけれ 于時保元二年二月十七日、權少僧都覺英、生年四十一申の刻に終りぬと、かゝれたり、此の僧都は後ニ條殿の御子、富家の入道殿の御弟にて、いまそかりける、  花をのみ惜みなれたる三吉野の木の間に落つる有明の月 といふ名歌を、よみ給へる人にこそし云々。 彼は不思議にも、其の嘗って知りける、覺英が末路の跡に、遭遇せり、これ實に竒遇といふべし、彼れと志を同じうし、洛陽の塵を辭して、東に向へるもの、先きには、笠を掛けたる某あり、今又笈を捨てたる、覺英あり、尋ねざるに、其の跡を踏み、求めざるに、其の地に至る、頗る因縁の竒なるものありと云ふべし。 斯くて彼れは、陸奧の山川を跋渉して、平泉に至る、藤原秀衡なるものあり、陸奧兩國を從へ、威勢赫々として、此の地に居を構へたり、彼れ固と秀衡と懇志なり、是を以て之を訪ふ、秀衡も尤も和歌を好む、西行を見て、怡こんで曰く、卿と余とは、先祖より交情薄からず、願くは相共もに、斯道を談ぜんと、饗應最も悉くせり、或る時泰衡彼に乞ふて曰く、卿を思ふて、會ま此處に見るを得たり、希くば戀の百首を得んと、彼れ辭して詠まず、請ふこと切りなり、是を以て彼遂に、己むことを得ず、長亭短亭、草の枕に、見たりける、夢のことを詠ぜんとて、  たゝそめてかへる心はにしきゝの千束まつへき心地こそせね  身さ知れは人の尤かとも思はぬに恨らみ顏にも濡るゝ袖かな  くまも無きおはしも人を思ひ出て心と月をやつしつるかな  あはれとて人の心のなさけあれな數ならぬ身はよらぬなさけを  たのめぬに君こやとまつ宵のまは更け行かて只わけなましかは  逢ふまての命もかなと思ひしは口惜かりけり我心かな、 秀衡は最も多く、彼を敬虔し、崇重せり、四五年此處に、留遊せんことを彼れに乞へり、雲水の癖最も深かき、彼れは、何ぞ久しく同地に留り得んや、彼れは其の秋の末に至り、秀衡を辭して、飄然として又好む所に向へり。 雲に入り、又雲を出で、霞に隱くれて、又霞みより現はれ、斷崖を踏み、竒石を上ぼり在らゆる東國の、山川野溪を踏破して、彼は遂に又京師に向へり。 彼れが秋風と共もに、京を去りしは、屈指既に、十餘の星霜を經たり、彼は二十餘年に京を出で、參捨餘年、京に歸れり、其の孤鶴白雲に、伴ふこと、十餘年、天然と遊ぶこと、爰に一世なり、彼は其の東國を、縱横に遍歴し、再たぴ舊里に歸へり、都の有り樣、如何にと見れは、人生無常の悲しさには、遲くれ先立つためしとて、彼れ等は皆、末ゑの露、元の雫と變はり果てたり、十年以前互ひに、相親睦せる人々を尋ぬれば、又皆北〓(亡+(郊−交))一片の煙りと化し去り、昔を語らん便りも無し、嘗て高壯輪煥たりし家も、今は荒廢して、孤狸の犯すに、委せるもの、數へ來たれば、百六十餘家あり、人亊の興替、時勢の盛衰、扨ては人間の生死、觀じ來れば、豈に敢果なきにあらずや、彼れは此の状况を目撃して、無限の感慨、無量の〓(口+咨)嗟に沈づみ果てたり。 然れば斯の泡沫夢幻の世に、我れは如何にして、つれなく免ぬがれ來りしぞ、と靜思默想すれは、彼れ自身すら、其の心を解し能はざるものある也、如何に世を捨て、人間を捨てたる彼れと雖ども、秋聲を聞き、悲雁を聞き、孤影悄然として、誰れか其の家を思はざるものあらんや、孤客爰に斷膓して、十年尚ほ故郷忘れ難く、再ぴ京に上ぼりて、此の慘况を見る、悲酸實に請ふべからざるものあるべし  數ならぬ身をも心の  これや見し昔しすみける宿ならん蓬きか露に月のかゝれる 彼は既でに京に留まりて、年頃知りたりける人の許を、尋ぬれば、其の人既に沒して、其の妻殘れり、彼れ轉だ追懷に堪へず、  なき跡のおもかけをのみ身にそへてさこそは人の戀しかるらめ 其の障子に書して去れり、時に京師騒亂して、物議恟然、心亂れて靜想すべからず、即ち、  遙かなる岩のはさまに獨り居て人目思はて物思はゝや  しほりせてなを山深く分け入らんうきこときかぬ所ありやと 斯く吟して京を出て、草庵を洛北に結んで、孤居自ら遣れり。 彼れ既に關八州を踏破し盡くして、其の山水竒景を探ぐり終れり、此の上は斯く决心せり、此の上は一日も留まる能はず遊心矢の如く、輕裝飄然として、又洛北を出づ、小倉山に尼を尋ね、江ロに遊女の和歌を聞き、天王寺に居ること少焉、遂に决意、四國に渡る、蓋し新院の、讚岐に居給ふを以てなり、彼が新院既に、崩くれ給へりと聞くや、愁然として更らに、其の意を決し、其の御墓を吊らひ參ゐらせんと定めたり、彼れが四國に渡れるの記亊は、自ら書して、撰集抄の中にあり、今摘記して左に掲げん、  過ぎにし仁安の頃、四國はる/\修行仕つり侍りし序でに、讚州見を坂の林といふ所に、暫時棲み侍べりき、澤山邊のならの葉にて、庵り結びて、つま木樵りたく山中のけしき、花の木末ゑのよわる風、誰れとへとてか、呼子鳥、蓬の下のうづら、終日にあわれならずといふことなし、長夜のあかつき、さびたる猿の聲を聞くに、坐ろに膓を斷ち侍べり、斯かる栖み家は、後の世の爲めとしも、侍べらねども、心そゞろにすみて、覺ゆるこそ、斯くても侍べるべかりしに、浮き世の中には、思ひとゞめじと、思ひ侍べりしかば、立ち離れんとし侍べりし程に、新院の御墓所を、拜がみ奉らんとて、白峰といふ所に、尋ね參ら侍べりしに松の一村しげりたるほとりに、釘ぬきしまはしたり、是なん御墓にやと、今更らかき暮らされて、物も覺江ず、まのあたり見奉りし、亊ぞかし、清涼紫雲の間に、やすみし給ふて、百官にいつかれさせ給ふて後宮後房の臺には、三千の美翠の簪、鮮やかにして、御まなじりにかゝらんとのみ、しあはせ給ひぞかし、萬機のまつりごとを、掌ににぎらせ給ふのみならず、春は花の宴を專らにし、秋は月の前の興つきせず侍りき、豈に思ひきや今かゝるべしとは、かけても計かりきや、他國一邊土の山中の、おどろの下に朽ち給ふべしとは、貝鐘の聲もせず、法華三昧つとむるの僧、一人もなき所に、只峰の松風のはげしき、のみにて、烏だにもかけらぬありさま、見奉つるに、坐ろに涙を落とし侍べりき始めあるもの終りありとは、間き侍りしかども、未だかゝるためしをば、承はり侍べらず、されば、思ひをとむまじきは、此の世なり、一天の君、萬乘のあるじ、しうのことくの苦しみを離れ、まし/\侍らねば、せつりも、しゆだも變はらず、宮も藁屋も共に果てしなきものなれば、高位もねがはしきにあらず、我れ等も幾度か、彼の國王ともなり給ひけんなれども、隔生即忘して、凡べてに覺江侍べらず、只往いて、とまりはつべき、佛果圓滿の位のみぞ、床しく侍べる、兎にも角にも、思ひつゞくるまゝに、泪の洩れいで、侍りしかば、  よしや君むかしの玉の床とてもかゝらん後はなにゝかはせん と打ち眺がめられてありき、盛衰は今にはじめぬ、わざなれども、殊更らに驚ろかれぬるに侍べり、扨ても過ぎぬる保元の初の年、秋の七月の頃をは、烏羽の法皇、敢果なくならせ給ひしかば、一天村雲迷ひて、花の都水くれふたがり侍べりて、含織のたぐひ、うつゝも侍べらず、嘆げき身の上にのみ、積りぬる心地ともにて、在はしましゝ中に、僅かに十日の内に、主上上皇の御國あらそひありて、上を下にかへし、天を響かし、地を動かすまで、亂れたゝかひ侍べりて、夕に及んで、大炊殿に火かゝりて、黒煙おほへりしに、御方の軍、勝つに乘り、新院の御方は軍破れて、上皇宇治の左府、御馬に召して、いつちともなく、落ちさせ給ひしを、兵共追つかけ奉りて、いさゝかも恐れ奉らず、射まゐらせ侍りしを、見立てまつりしに、よしなき都に出でゝ、心うく侍べり、さて後にこそ、承りしか、新院は或山の中より、求め出し奉つりて仁和寺へうつらせ給ふ、宇治左府は、矢に中らせ給ふて、御命終らせ給ひぬれば奈良の京、芳野の上三昧に土葬し、奉りけるを、勅使立ちて、死骸實檢の爲めに、堀りおこし、奉りけると、承りしに、あはれ、六つかしき世の中かな誰れか知らざる、浮世はかゝるべしとは、こゝに危ふく敢果なき身をもちて、したり顏にのみ侍べりて、空なしく明け暮れ、過ぎて無常の、鬼にとらるゝ時、聲をあけて、〓(ロ斗)けべども、叶はずして、惡趣にのみ、經めぐり、侍べらんは、いとゞ悲なしかるべし、盛衰もなく、無常も放れ侍べらん世なりとも、佛の位目出度と、聞き奉らば、などか願はざるべき、况んや盛衰甚だしきをや、無常速やかなるをや、たゞ心を靜づめて、往亊を思ひ給へ、すこしも、夢にやかはり侍べらず、悦こびも嘆げきも、盛も衰も、みな僞りのまへのかまへなるべし、 松風颯々たる、新院の墓前に拜したるの彼れは、住亊を追懷し、人生の敢果なきを觀じ、嘘唏流涕、鳴咽悲泣し、低回顧望、去る能はざりき、此の亊頗る有名にして、久しく人口に〓(ロ十會)炙せるもの、更らに吾人をして、白峯山縁起を、引き來らしめよ、  仁安元年神無月のころ、西行法師四國修行の時、彼の廟院にまうでゝ、笈をば庭上の橘の木に寄せ掛けて、法施たてまつりけるに、御廟震動して、御製に曰く、  松山や波に流かれてこくふねのやかて空しく成りにけるかな  西行涙を流がして御返亊に、  よしや君むかしの玉のゆかとてもかゝらん後は何にかわせん 是れ固より取るに、足らぬ俗説なりと雖ども、彼れが自記と、相對比せば、恐らくは思ひ半ばに過ぐるものあらん。 斯くて彼れは、同國善通寺に、留まること三年、遂に又、  こゝを又我れ住みかへてうかれなは松はひとりにならんとすらん。 の一首を殘こして、飄然京に去れり。 彼れ既でに京に歸り、床かりある人の家を尋ね、相見て欣然、今昔を談ず、彼の人曰、  姫君のこと、いとしをしさよ、御出家の後、頓がて母御前も、さまかへて、一二年は姫君と、一所におはせしが、九條の刑部卿の姫、冷泉院殿の御局と申す、御子にしまゐらせて、世にいとをしくし參ゐらせ給ひき、其の後母御前は、高野の麓、天野といふ所に、行ひおわして、此の七八年は、音信れなし、此の程冷泉殿、むかへ腹の御娘の、伯耆の三位殿と申す人を、婿にとりて、姫御前を上藹女房にし參ゐらせて侍べり、今生にて父の御行く衞、知らされ給へど、泣き給ふより外なし、彼れは久しく、音信を爲さゞりける、妻子の消息を聞けり、其の彼れ等と、別れしより、既に十數年の星霜を經たり、誰れか恩愛の情、斯かる談話を聞いて、一掬の涙なからんや、况んや其の嘗って、床下に蹴り落としたる彼れ四歳の幼女は、今は既でに成人し、其の父を愛々し、其の父に戀々たりと、聞くに於いてをや、心緒豈に、千轉せざるを得んや、而かも彼れは平然として、其の談話を、聞かざるが如くにして、歸れり。 彼は翌日、其の娘を訪へり、而して彼れは、世の無常を説けり、淳々たる彼れが、言は、至誠より出づ、中心より出づ、其の泡沫夢幻を説き、其の風前の燈花を論ずるに至り、彼れの娘は、遂に剃髮の意、勃然として起これり、鳴呼彼女は、其の父の如く又無常を觀じたる也。 彼は其の妻の佛門に入りたるを聞き、今や又其の愛女を、染衣の人と爲し終はんぬ、是に於てか、彼が心中又一點の雲影あるなし。 要するに、彼が一生の八分は、放行なり、彼は其の天然と一致し、自然と和合せんが爲めに、白雲山水を、蹈破蹂〓(足闌)したるなり、その全聲玉振の佳作は、豈是れ彼れが、雲を飮み、霞を吸ふて、得たる結果にあらずや。 想ふに旅行家としての彼れは、詩人としての彼を作れる、要素なりし也、彼の生涯をして清からしめ、彼の生涯をして、竒逸ならしめ、彼の生涯をして愉快ならしめ、彼の生涯をして爽絶ならしむるもの、又豈に彼れが、旅行にあらずとせんや。  Subtitle  西行の性格  0004:  其の生涯 跡を白雲に隱くして、心意高潔、雪の如く、水の如く、千里の天空、一點の雲影を容るさず、萬頃の煙波、半波の浪を揚げず、悠々として自適し、閑樂し、天地の間に眠むれるもの、孤客西行の一代と爲す、詩人西行の生涯と爲す。 彼れは高く思想し、高く行爲し、高かく遊び、高かく歌ふたる詩人也、彼の生涯は、生絹一幅の山水の如し、畫圖の如し、彼が旅行家として、經過通由せる、山や、河や、樹や、水や、悉くこれ彼が一代を顯はせるものに外ならず、淡煙を籠めたる柳條の清楚、月光を浴ひたる、草蘆の高潔、山の秀麗、水の瀟灑、豈これ彼れが、生涯にあらずとせんや。 彼の生涯は淡泊なり、瀟洒なり、彼は塵俗の追え汚穢に染まず、廣聞令譽を、塵芥視せり、身を持すること、頗る質朴にして、虚飾錦裝を以て、骸骨を包む、無用物と觀ぜり、人間を視て冷然として笑ひ、塵界を見て、哄然として嘲けり。 彼は喜怒を以て、色に顯はさず、愛憎を以て心を動かさず、七情を抛擲して、其の心を人間以外に、超然たらしめたり。 彼れ嘗つて行脚斗籔の際、道天龍河を過ぎる、武士あり同じく、舟に乘る、人多く舟に滿ちて、舟勝へざるものゝ如し、漸くにして中流に至る、舟將さに覆へらんとす、人西行を罵つて、舟より出さしめんとす、西行聞かざるを爲せり、舟中の人、激怒西行を捉へて之を鞭つ、彼れ默然として、敢へて抗せず、遂に渡る、從僧憤怨に勝へず、泣いて西行に謂つて曰く、師何ぞ默々として、之を忍べる、彼れ等が妄状、亦甚だしきにあらずやと、西行冷然として、笑ふて曰く、吾れ京を出づる時、途中千辛あるべしと教へしは、則ち是れ也、僧は忍辱を以て、高徳となす、暴を以て暴に易ふ、是れ天を知らざるものなり、汝斯の如くんば、長く吾に從ふ能はざるべし、速やかに京に歸り、又再び從ふ勿れと、遂に其の從僧をして、從ふを得ざらしむ。 彼が高きこと斯くの如し、其の思想に於て、其の性行に於て、彼は純然たる古聖人の遺風を帶びたり、彼が思想は高し、故に其の以下のものには、心を動かさゞる也、彼が性行は清し、故に其の濁ごれるものには心を動かさゞる也、彼は絶大の巨眼を以て、絶小の人を觀たり、彼の眼目には、武士も、庶民も、船頭も、旅人もあらざる也、其の喜怒愛憎を以て、人間界の、笑ふべき戲亊となせるのみ、彼の天地は大なり、彼の胸襟は廣し、〓(サ/最)〓(サ/爾)たる人間の紛擾、彼に於て何かあらんや。 神護寺の僧文覺、西行を悦ばずして曰く、沙門の業たる、道是れ修するのみ、彼は如何なる者ぞ、四方に周遊し、吟詠日を渉る、實に釋門の賊なり、吾之を見ば、必ず撃つて、其の頭を破らんと、西行高雄に至る、文覺共に語りて、大に喜ぶ、其の徒文覺に云て曰く、師前に凌辱を加へんと云ふ、而して今斯の如きは、何ぞや、文覺曰く、爾曹西行の状貌を見ざるか、彼れ固より吾に毆たるゝものにあらず、却へつて正さに吾を撃たんとすと。 文覺固より、鐵中の鏘々たるものなり、而かも其の彼を恐るゝこと、遂に斯くの如し、彼れ固と偉貌あるにあらず、其の天龍川に於て、人以て常僧となせるを見るも、彼れが状貌決して人を驚かすに足らざるを知るべし、而かも文覺其の状貌を見て、却って己れを毆つものなるを知れり、盖し文覺は、彼に於けるの卞和(べんか)也。 彼れ嘗って鎌倉を過ぐ、頼朝に召されて、銀猫を賜はる、彼れ之を拜受して、門を出づ、門側に兒童の、相戲るゝあるを見る、彼れ即ち其の銀猫を、之に與へて去れり、是れ彼れが、生涯の竒行中、最も淡泊瀟洒なる、性行にして、彼の彼たる所以を、證し得て餘りある也。 磊々落々たる、詩人の生涯は、凡眼を以て遽かに、捉ふべからざる也、卒然として、之に臨めば、雲の如く、霞の如く、洞乎として之を觀れば、水の如く、煙の如し、彼の性格は自然にして、高潔なり、彼の生涯は、高遠にして、畫圖の如し。  Subtitle  詩人西行  0005:  一、其の本領と歌論 王朝の野、秋風時地に寒むく、百紅散り、千紫亂れ、文運漸く廢頽し、世は腥血淋漓の衢と爲り、勇武盛んにし人心を皷舞するに至り、奈良の詩調王朝に老朽し、鎌倉に枯死せんとす、定家、俊成の徒、起つて古道を、既倒に興さんと欲す、歌道一縷の命脈は、僅かに彼らが手に由つて保たれたり、此の時に當り烱眼炬の如く、古歌の眞髓を看破して、體を自然に藉り、調を自然に採り、識見、超然として、群詩人、衆歌人を、睥睨蹶破して、更らに一新機軸を出だし、更らに一新旗幟を樹てたるものあり、その名を西行といふ。 彼は天地の自然に感じ、其の自然を基脚として、幽玄古へに近かゝらんとせり、世道廢たれ人心亂るゝの時に際し、彼れは靜づかに、天地の美妙を感受して、眠むれる詩人に、一大打撃を加へたり、彼が非凡の着想は、當時の歌界に、光輝ある異彩を放てり、一種の風調は、頗る當時の耳目を驚かせり、蓋し彼の詩や、作れるにあらず、成れる也。 彼は白雲流水に伴なひて、頗る自然の躰を得たり、其の感に從ひて詠じ、其の慨に從ふて吟ず、神韻遠く、人界を超絶し、迥かに幽邃の境ひに入れり、人跡絶えたる、山林の裡、一池の水面、鏡に似て、其の靜かなること、太古の如きは、是れ豈に、彼れが、歌に於ける、本躰にあらずや。 吾人をして、彼れが歌に對して、如何なる見解を抱きしかを見せしめよ、是れ詩人西行を識るの第一要素なれば也、蓮阿の記に曰く、  西行上人二見浦に草庵を結びて、濱荻を折敷たる樣にてあはれなるすまゐ云々(中略)さて歌は、如何樣に讀むべきぞと、問申しかば、上人云和歌はうるはしく詠むべきなり、古今集の、歌の風躰を本として、讀むべし、中にも雜の部を常に可見、但古今にも、うけられぬ體の歌少々あり、古今の歌なればとて、その躰を詠ずべからず、心にもつきて、優に覺えん、其の風躰を、讀むべしと侍べりしに、猶ほいつれの歌ともをか、本とすべき云々。 彼が歌に對する、所説は斯くの如し、蓋し彼れは、貫之の所請『人の心花になりゆく』を見て、深かく信ずる所ありし也、其の『歌は美はしく詠むべし』と謂ふが如きは、則ち自然を歌ふの謂ひにあらずや、彼れは美を以て、歌を飾れとは謂はず、彼は叨りに、『花鳥風月を麗々しく詠ぜよ』とは謂はず、其の『美はしく詠むべし』と謂へるは是れ風姿の美を差して謂へるなり。 白堊朱漆、燦爛として眼を奪ふの偉觀、彼は决して美と爲さず、金殿玉樓輪煥として、眩曄せしむるの建築、彼は决して美と爲さず、彼の取つて以つて、美とする所のものは、山紫水明の如きを云ふ也、白雲煙霞の如きを謂ふ也、麗語を並べ、佳句を集む、波は决して美となさず、艷體を冩つし、嬌婉を詠ず、彼は决して美となさず、彼の取つて以て、美とする所のものは、神韻飄逸を謂ふ也、天體自然を謂ふ也。 萬葉の自然は、雄渾偉大なりと雖ども、歌躰寧ろ、美妙を〓(缶欠)きたり、其の自然に近きに至つては、後世能く及ぶ無しと雖ども、自然と人間を調和するに至つては、乏しきに似たり、是を以て彼れは、萬葉の精神を學んで、古今の自然に近きものを取れり、彼は深かく當時の、時勢に鑑みて、以て調和の策を取り、普ねく天下に皷吹せり、彼は古今集の歌體を以つて其の立脚地と定めたり、而かも尚ほ彼れは、『古今の歌なればとて、其の躰を詠ずべからず、心にもつきて、優に覺えん、其の風體を讀むべし』と、謂へるにあらずや、彼れは其の躰よりは、其の風韻を貴べる也、其の詩形よりは寧ろ其の詩韻を得んとせり、而して其の標本として、彼れは如何なるものを撰みたるか、  一、 春霞立てるやいつこみよしのゝ吉野の山に雪は降りつゝ  二、 櫻花咲きにけらしな足引のかひより見ゆる峯の白雲  三、 霞たつ春の山へは遠けれと吹きくる風は花の香そする  四、 花の色は移りにけりな徒らに我か身世にふる詠めせしまに  五、 春霞たな引山の櫻花うつろはんとや色變はりゆく  六、 櫻色に衣はふかく染てきん花の散りなん後のかたみに  七、 月見れは千々に物こそ悲しけれ我身一つの秋にはあらねと  八、 秋はいぬ紅葉は宿に降りしきぬ道踏み分けてとふ人もなし  九、 みよしのゝ小の白雪つもるらし故郷さむくなら増さるなり  十、 夕されは衣手寒むし三吉のゝよしのゝ山に深雪ふるらし  十一、住吉の松を秋風吹くからに聲打ちそふる興津白浪  十二、天の原ふりさけ見れは春日なる三笠の山に出し月かも 盡く是れ自然の詠歌にあらずや、彼は之を取って、作歌の好標本とせり、彼が古へを慕ふは、その萬葉を慕ひ、古今を慕ふにあらずして、其の風韻を慕ひ、其の俊調を慕へるなり、彼れ故に曰く、『但し古今にも受けられぬ歌少々あり』と、其の古學を看破し、洞察し、新らたに一個の新意を、開發せるの彼れは、眼中古人なく、古歌なく、唯聲調の耳を掠めて、餘韻長へに、人の感線に響くものを以て、彼れは絶調の詩となし、俊逸の歌となせり。 飜がへって彼れが歌の風體に對する所説を見るに、自然と云へる觀念は、常に彼が腦裡を離れざるものゝ如し、蓮阿更らに記して曰く、 和歌の風體、上人年頃相談せられしを、記し置きたるも少々あり、さらぬをも、思ひ出づるに從ひて、かきたる也、又古今の外にも歌ども、少々ありとて  一、 高砂の尾上の櫻さきにける外山の霞たゝすもあらなん  二、 をのつから秋は來にけり山里の葛はひかゝる槇の伏屋に  三、 鶉なくまのゝ入江の濱風に尾花波よる秋の夕くれ  四、 なけや鳴け蓬かもとの蛩過ぎ行く秋はけにそ悲しき  五、 松風の音たに秋は悲きに、衣打つなり玉川の里  六、 さひしさに煙をたにもたゝしとて柴折くふる冬の山里  七、 山里はいほりの眞柴吹く風に音きく折りそ冬は物うき この歌の姿とて、上人我くびを衣に、引き入れて、冬の嵐の庵の柴、ふく程あらはへ、立いでんも、物うき樣、面影さる亊あり、うしと覺ゆる歌なりと、ありし姿今も見方やうなり。 彼が歌の風躰に對する、觀念の一般は此の數歌に依って、窺ふを得る也、彼の所謂『美はしく詠ぜよ』と云ひける、意味の如何は、是れに依って、推知せらるゝを得べき也、請ふ吾人をして、更らに彼れが、完全なりとして賞せる歌體の一般を擧げしめよ、  一、 淡路かた通ふ千鳥の鳴く聲に幾夜ねさめぬすまの關守  二、 松島やをしまか磯にあさりせし蜑の袖こそかくは濡しか  三、 難波江の藻にうつもるゝ玉柏あらはれてたに人を戀はや  四、 けふこそはいはせの森の下紅葉色に出れは散りもしぬらめ 此の風韻を以て、彼は絶調となし、俊調となしたる也。再び彼れが歌聖人丸に對する、一家の歌論を見せしめよ、世人人丸が『ほの/\の』の歌を以って千古の絶調と爲せしにあらずや。而かも彼れは、如何に之を論評したるか、彼れ曰く、  ほの/\と明石の浦の朝霧に島かくれ行く船しそ思ふを 人丸の歌には、此の歌勝ぐれたりと、世の人思へり、  梅の花それともみ江す久堅の天きる雪のなへて降れゝは 此の歌は、ほの/\の歌には、勝さりたるなり、其の故は、島かくれ行船をしそおもふ、此の句は詞のよせ、誰れも、思ひよりぬべきさまのしたる也、梅の花の歌は、凡夫の心及ぶべきにあらず、大なる歌とは、これをいふ也、叶ふべき亊にあらねども、歌はかやうに讀まんと思ふべし、  *工亊中 注1:「天地者萬物之逆旅 光陰者百代之過客」(春夜宴桃李園序 李白) 注2:「いつの世に長きねぶりの夢覺めておどろくことのあらむとすらむ」(新訂山家集1515) 注3:「朝有紅顔誇世路 暮為白骨朽郊原」(和漢朗詠集下-七九四 藤原義孝)  底本::   著名:  詩人西行   著者:  中龍兒   発行所: 民友社   初版:  明治廿九年十二月廿六日   発行:  明治三十年八月廿五日第四版  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力日: 2001年01月12日-  校正::   校正者:    校正日: