Title  小町物語  Author  不明  Subtitle  新板小町のさうし 上  Description 昔後鳥羽の院の御代の時、藤原の朝臣佐藤兵衞義清といひし人不思議の宿執により、出家して其名を西行法師と申すなり。然るに西行の御弟子に西住と申す人、十三の年より師弟の契約をなし、共に六十餘州を巡り給ふが既に都へ上り給ふ。頃は七月なかばの亊なれば、都の貴賊上下思ひ/\に蓮臺野の墓へ參る。同じくよど千げん、かづらき千げん、京は九萬八千げん、山よせ四千げん、いり/\のだうとう、わきでらだうとうの高燈籠、阿彌陀がみねの燈火は、げに目の前のことわりなりとて涙を流し給ふ。やゝ有て御弟子西住を近づけ、いかに西住承はれ、いざや我等も蓮臺野に出でて、さきだち給ふ人々の御跡を弔以んとて、かの蓮臺野の墓へ出でて、とぶらひ給ふは誰々ぞ。うぢの中將、小中將に、左近の中將をさま%\にとぶらひて、いかに此野邊に、四位の少將の御廟所はいづくぞと人に問ひ給ふ。深草の少將と申すは、此世を去つて久しくなりぬ。あとに孝子もなければしるしもなしと申しける。西行さてはあはれの亊かなと涙をとゞめかね給ふ所に、年の程八十ばかりの老人鳩の杖にすがり露うち拂ひ出で給ふが、あゝづゝやな、わが住む草のかげには燈火のかげもなしとてひれ伏して悲しみ給ふ。西行見給ひて、いかにそれなる老人に尋ね申さん。このあたりに四位の少將の御廟所は知り給はぬかととひ給ふ。老人答へてのたまふは、少將の墓所は、あれに見えたる一むら薄のもとこそ少將の墓よとて、聲ばかりして失せ給ふ。西行立ちより見給へば、げにも地りん水火りん風りんとて、己が心にひき亂す。西行御覽じて涙を流し、それ四位の少將と申すは天下にかくれなき歌人なり。まづ春のあしたには、梅櫻の枝を折り、鶯の花にたはぶれけるに心をかけ、夏は涼しきかげを慕ひ、澤邊の螢と共に夜をあかし、秋の暮には鹿の聲物すごく、冬は又降る白雪をもてあそび、月にたはぶれ、花にめで、今の世までも名を殘す。少將も空しくなりて、孝子なければあとをとぶらふ人もなし。誰とても夢の浮世の程なり。遂にはかやうの有樣なるべしとて、うちしげりたる草うち拂ひ念佛申し、經をよみ、樣々に囘向して、さて一首はかくこそ  秋ふかき露の草むらふみ分けてとへど答へぬ昔人かな かやうに詠じ給ひて、さて傍を見給へば、すゝき一むらのかげより、迦陵頻伽の聲をあげ、やがて返歌と聞こえけり  草むらのかげより我をとひぬれど姿を見えば恥かしの身や かやうに聞えければ、西行是を聞き給ひて不思議の亊や、人も見えぬ方より今の詠歌の返歌として聞えけるこそ不思議なれ。さてあたりを見給へば苔蒸したる頭あり。右のまなこに雨露たまり、左のまなこにつた生ひてあさましき軆なり。西行かくぞ  野を見れば白きかうべもつらからず遂に我身のはてと思へば  世の中は咲き亂れたる花なれや散り殘るべき人しなければ と、かやうに詠じければ、西行も一首  世の中は咲き亂れたる花なりと色香をすてゝたのめみ法を と、かやうに詠じ給へば、草むらの蔭より古き頭ころび出で、西行の座し給ふ膝のあたりへ近づく。西行是を見給ひて、此十三年が間いか程恐ろしき堂塔、神の住みあらす社、岩の洞をやどとしけれども、かゝる恐しき亊は今始なり。昔奧州に將門と申す人ゑんじゆ二年に世をとつて、下野の國かうしまの次郎將門と申せしが、みつに京をたて世をたもつ亊八ケ年なり。俵藤太秀郷のはかりごとにて、駿河國てつとの濱にて打ちとり、首をば都へのぼせ、獄門にぞかけられける。七日の日數をおくれども少しも色は損せずして夜々物いふ聲ぞ聞えける。人々不思議に思ひ、しのびよりて聞くに、かの首がいふやうは、あら無念やな、駿河なるむくろが都へ上りこよかし。首うちすわって都の鬼門に立ち給ふ鞍馬の毘沙門の御劍おつ取て、既に内裏へ亂れ入り、公家殿上人悉く斬り伏せ、忝くもみかどの御首を給はらん亊は、案のうちなる物をとから/\と打笑ひけり。其聲洛中の鐘をつく如くにて、帝も御惱有りければ、天下大きに騒ぎける。其頃都にかくれなきみわの藤六と申す者歌道の達者なれば、内裏へ召され、將門の首を■■■■■■■■しある。其時藤六獄門にむかつて  將門はこめかみよりぞ討たれけり俵藤太がはかりごとにて とかやうに詠みければ、其時將門の首八寸五分の釘をきりきりとひつしめ大まなこを見出し、獄門の木を引き動かして、いかに藤太、天竺唐と我朝にて此の將門を歌じきにふせん者は覺えず。いづくまでも逃すまじきと大音あげていひければ、其聲が都のうちへひゞきわたる。むざんやな、藤太は肝たましひも身にそはず、身の毛よだつてひれふしけるが、三日のうちに年三十八と申すにあしたの露と消えにけり。將門の首も遂には歌じきにふせられて朽ち侍ると承ると語り給へば、かうべ此由聞くよりも、それは首の物語り、是はかうべの物がたり、か程にしたし顏なる振舞は、昔が今に到るまで聞きも傳へぬ御亊なり。とく/\都へ御上り候へと申しければ、西行のたまふは、後鳥羽院に召仕へしが、三臺槐門の家を出で武士の舊宅を去つてよりこのかた、私に三萬五萬、あはせて八萬でうの主にてわたらせ給ふ。雲にかけはし、及ばぬ戀に身をやつし、世を遁れぬ。かゝる形となりぬれば、かやうの野邊をこそ遂の住家と思ふに、世に有がほに、都へ上れとは何亊ぞやとのたまへば、さあらば今宵は此蓮臺野にまし/\て、數ならぬかうべがこしかたの物がたり申すべし、聞き給へとて、夜もふけ人もしづまりて、かうべかくこそ語りけれ。蓮臺野に年ふるかうべは、定めて都のものと思召らんぞと語りて聞かせ申すべし。我は出羽の郡司小野のよしざねのむすめ、小野の小町がかうべなり。我いかなる罪の報にや、七歳にて父におくれ、頼むかたなうして近江の國にをば御前のましますを頼み參らせ、六年の春をおくる。其頃のみかどをばけんちうの帝と申し奉る。然るに御きさき一千餘人もち給ふ。されど本の后に据ゑ給ふべき人なければ、我等が優にある亊聞召し、いそぎ玉の輿をしたてゝ、近江の國へたて給ふ。召にしたがひ參内す。へいでう門に車を立ておかれ、叡覽有て大きにゑみを含み給ひて、小町程美しき女は世にあらじと綸言有り。即ち后にそなへられ、年拾三の春の頃より帝王の御寵愛、比翼蓮理の如くなりけるを、公家十六人殿上人三十四人おの/\一同に申上げらるゝは、あの小野と申すは出羽の國下臘の子なるを御后になほし給ひなば、帝王の勅命盡きぬべし。勅命盡きば必ず天下も亂るべし。ひとへにあさましき御亊かなと皆々つゝしんで奏聞し給ふ。其時帝王とかくの儀には及び給はず。然ればおの/\申さるゝは、さあれば皆々參内をやめんとて、既に出仕する人もなし。此時みかど是非に及び給はずとて、三日と申すに紫宸殿へおろされたり。其時おの/\知るも知らぬも歌をよみ、詩を作り、又玉梓はむらさめの降る如くに通はし給ふ。されどもみづから心に思ふやふ、我おの/\の訴へによって、帝を取りおかされ、紫宸殿へおろされ、あまつさへ憂世の有樣かなふまじきと思へば、にづ方へも返亊する亊なうして、とりおく文の數を知らず。中にも思ひ深草の少將は、歌をよみ詩をつくり、樣々有りし言の葉のうちおかれぬまゝに返亊をやる。まことに我を思ひ給はゞ、もゝ夜通ひ給へ、百夜のうちに一夜はあはんといひければ、少將よろこび小町にならば、千夜も二千夜も通ふべきに、まして百夜など通はん亊何よりもつて易き程の亊なりとて、雨の降る夜も降らぬ夜も、月にはゆき、やみにも通ひて、車のしぢかにかきおき給ふをみづからよみて見つれば、九十九夜なり。遂に百夜のうちにもあはざりければ、いたはしや、少將餘り思ひにたへかねて、百夜に一夜たらはで空しく成り給ふ。されば少將を初め參らせ、我に心をかけて戀死する者凡そ一萬八千九十九人なりとぞ覺えける。  Subtitle  新板小町のさうし 下  Description さる程に、小町に心をかけて死したる者の妻子眷屬悲しみて、皆々五條河原に出で、川の水をせきあげたゝきあげて、さても/\我等がつま、小町ゆゑはかなくはなる。願はくは神や佛のましまさば、一萬八千九十九人が妻子或ひは眷屬どもが思ひなげきを、小町一人にかけ給へ。上は梵天帝釋、下は堅牢地神、三千世界の諸神いそぎ/\小町が身につもつて、其報を見せてたび給へと天にあふぎ、地にふして嘆き悲しむ。其むくいにや、月よ花よとあらそふ春のころ、にはかに物のけつきて、禁中を狂ひ出で、一條巷頭、室町の方、二條、押小路、坊門、六角堂、三絛あたり、四條、綾の小路、五條河原の橋にては、行來の人に物をこひ、さながら思ひ深草の少將の其怨念なり。あさましきかなや、裾を結んで肩にかけ、肩をむすびて裾にさげ、破れみの、破れ笠、ひぢにあしかをかけ、首に袋をかけさげて、まことに目もあてられぬ有樣なり。さて又狂ふ時は我指を折りふせて、一二三四五九十九まで數へては、わつと泣いては天地に仰ぐ。即ち少將の思ひ身にうくる有樣なり。さて少し本性になり、などやあらん故里の戀しきは來世も近づくかと思ひて、花の都を打すてゝ名所々々をうち過ぎて、はや松本に着きにけり。何とやしけん、鹿を追ふ獵師の有りけるが、我を見つけ追ひとゞむ。力なくとゞまりて二十一年の春秋を送りける。かゝりける所に獵師むなしくなりぬれば、憂かりける都へ又こそ上らんと思ひ、さて行くままに關寺の門前に古き塔婆の有りけるに腰をかけ、休らひしかば、關寺の上人慈悲のまなじりに隨喜涙を浮べ、いかにそは何しに卒塔婆には腰をかけけるぞ。既に卒塔婆は大日如來のさまやぎやうの佛軆なり。とくとくそこ立ちのけといかり給ふ。みづから聞きて申すやう、一見卒塔婆永離三惡道、一念發起菩堤心といふ。上人聞き給ひて、菩堤心あらば何とて、憂世をばいとはぬぞと仰せける。みづから申すやう、姿が世をもいとはばこそ心こそいとへといふ。又上人さらばなど禮をばなさでしきたるぞ。又みづから、とてもふしたる此卒塔婆、我も休むは苦しさに。又上人、それは順縁にはづれたり。又みづから、逆縁なりとうかぶべし。提婆が惡も觀音の慈悲、槃特が愚痴も文珠の智惠、惡といふも善なり、煩惱といふも菩堤なり、菩堤もとうゑきにあらず、妙經又うてなになし。本來一もつなき時は、佛も衆生もへだてなし。固よりぐちの凡夫を救はん爲の方便と承る程に、かかる我等も頼み有りといひければ、上人とかくの問答なし。其の時我は力を得て、なほたはぶれの歌をよむ。  極樂のうちならばこそ惡しからめそとは何かは苦しかるべき 上人聞召して、女ながらもげに心有るものかなとて、物亊にをしへべし。よく/\聞きて菩提のたねをうけよ。それ女は煩惱の雲あつくして菩提の闇はれ難し。一には煩惱濁、二には人界濁、三には三界濁、四にはよくなん濁、五には五濁惡道、六には六道のちまた、七になんどう、八にははんかい、九にかいをつ、十にぢうもん十戒とてけんじよく惡道とて、一くのさもんして即ち變生男子にいたるべし。其時みづから申すやう、とにかくに佛の方便有り難し。惡人女人ともに救はん爲の御慈悲なりとて、涙をはら/\と流す。殊に淨飯大王の后まや夫人は摩竭陀國にて十三月と申すに胎内をやぶり給ひて誕生なる。然るに王子天地に指さし、天上天下唯我獨尊と唱へ、東へ向ひ七足あゆみ、朝日を三度禮し給ふ。又西へ七足あゆみ、入日を三度拜み給ふ、其足の下には八葉の蓮華生ひめぐる。さて王子をば悉達太子と申すなり。是も女人の胎内より出で給ふ。男子を産んでたねをつげば佛もよろこび給ふなり。我等を初め女は唯惡業ならでは思はねども二ねんをつかずして一ねんにてすておかば、女なりとも何しに惡道におつべしといひければ、上人か程に有る女人に深く佛果のたねをさづくべしとて、それ女の軆には、すい山、さい山とて二つの山有り、此山の麓にとくといふ池有り。此池に八葉の蓮華生ひたり。さて此蓮華は常の蓮華にかはりて、莖よりまがりて倒につぼみける。此もとに寓舎の蟲がならびゐて聲々に嘆きける。あゝ悲しや、たま/\生れ來て男の腹にもやどらずして、女の胎内に有て、たま/\もふくせんと思ふ餌食をも、かの蓮華ふさがりて必ず之に飢ることの悲しさよと、上下横ざまにまきかへし/\泣くこと夜に七度日に七度なり。此蟲の泣く涙がつもつて、月に一度の月水となる。よく/\聽聞して、深く佛道を願ふべしとのたまふ。一者普徳淨梵天王、二者帝釋、三者魔王、四者轉輪聖王、五者佛身と説き給ふ。一には梵天王とならず、二には帝釋とならず、三には魔王通化ともならず、四には轉輪王にならず、五にはまして佛の得脱をなさず。然れども八歳の龍女は佛より佛道をさづかりて、即ち變生男子のすがたを得、南方無垢の生をうけ、又娑伽羅龍王の第三の姫、殊に佛の御母、摩耶夫人、何れも佛に成り給ふ。男子女人に限らずして唯心のさとりがらたるべしと申しければ、上人聞召して、げに心有りける女かな。さて汝はいかなる者のなれるはてぞととひ給ふ。恥かしながら、我は出羽の郡司小野のよしざねがむすめ、小野小町がはて候よと申しける。上人聞召し涙を流しのたまふは、さては小町がはてにて有りけるか。昔は見る者はいふに及ばず、聞きしばかりに心まよひて、文玉梓をかよはして戀死ぬる者數を知らず。今はかゝる有樣となりける亊のふびんさよ。即ち結縁に急ぎ、竹四五本取りよせて庵を結び、こもをかけ、此庵に入りて雨露霜をよくべしと仰せられける程に、有難く思ひて、やう/\かの藁屋にはいりて、古きみのを枕とし、そばに置くものとては古き合子や古袋、あとや枕に投げおきて、ゆきゝの人に物を乞ふ。消えはてもせぬうき命つながんと思ふ乞食とぞ、何よりもつてあはれなり。餘り悲しさに一首  古をたきゞと共につみこめてもえたつばかり物心悲しき かく思ひつゞけて泣く所に、京より人三人つれて通りしが、さても此の藁屋のうちに女の聲にて悲しむは如何なる乞食やらんといひければ、つぎの者がいひけるは、あれこそ昔の小野の小町とて、一たびはすでに后の宮にもそなはり、洛中洛外の人々に戀ひ悲しまれて、世にかくれなき美人のはてよと語りければ、又次なる者のいふやうはさても其小町のはてか、あさましさよ。人は命の惜しきものかな。さ程まで有りし程の人がかゝる軆になりても、明日の命を思ふかと、語りすてゝぞ通りける。みづから聞きて思ふやう、とかく命のあらばこそゆきゝの者にきたなまれ、何時まで恥をさらすべし。それ人間は夢の間の榮華といへども、夢のうちにさへかゝる病をうけ、苦しむ亊のあさましさや。命をすてんと思ひて藁屋を立ち出でて、心のうちに思ふやう、消えはつるまでも身をば、我こそしれ。願はくは彌陀如來我を淨土へ迎ひとらせたび給へと唯一すぢに祈念して、かくこそ詠じけれ。  鳥邊野にあらそふ犬の聲聞けばかねて我身のおき所なし  鳥邊野にたてならべたる石の碑はたが家々のしるしなるらん とうち詠じて、蓮臺野に出でゝ七日の食亊をとゞめて七日といふあした、ばんぷうといふ風にふかれて姿は戀慕の塵となる。かうべは白骨と成て、朽ちもせで百二十年が間、此の草むら野べに生ひしげりたる一むらの薄を宿として、雨露にうたれゐて、今宵御目にかゝり御とぶらひ受くるなりとぞ語りける。西行聞召して、さては小野の小町のかうべかやと、かの■■原野べにとりよせてすすきを結びて、七日御經をよみ、よもすがら念佛申し、麝香のべかうをたきて、即ち變生男子となつて往生し給へと囘向し給ふ。七日と申すあした紫雲たなびき、虚空に音樂聞え、玉の輿をかきさげて即ちかうべをかきのせて雲にあがり給ふなり。有難き御とぶらひ、ためし少き次第なり。  小町物がたり終          鱗形屋板 右以帝國圖書舘本書冩畢、昭和十五年四月九日。  Subtitle  解題  Description 市古貞次氏の研究が書誌學十一卷四號「未刊中世小説解題(十七)」に發表せられてゐるので、御厚意によつて、それを掲載させていたゞくことゝした。  梗概 (省略)  解題 歌人傳説を素材としたものは他に、お伽文庫所收の小町草紙、小町歌あらそひ、玉造物語、やゝ時代が下るかと思はれる小町歌あらそひ(本居全集の「小野小町の考」にある「小町物語といふもの冩本にて十卷ばかりありいとつたなき文にて近世の人の作と見ゆ」といふ小町物語は、未だ寓目しない。或は玉造物語の亊かとも考へてゐるが、明かでない)などあるが關係はさしてないであらう。本書の説明のあるものは、玉造小町壯衰書、江談抄以下十指を屈するに足る諸書に散見する小町傳説と、特に髑髏傳説等に於て、何等かの交渉ある塲合を全く拒否し得ないが、最も直接に緊密な關係を有すると思はれるのは謠曲の卒都婆小町で、例の上人との問答の揚面など酷似し戲れ歌も全く一致する。且つ本書の構成が、彼の夢幻物、精靈物と軌を等しうする亊によつても−−此點は業平と源氏を巫女のロ占にのせて語らしめた花鳥風月(その改作二月物語)を想起せしめるが−−謠曲の影響を否定出來ない。たゞ揚所が市原野や玉造小野の里でなく蓮臺野であり、小町草紙に於ける業平の位置に代って、同じく中世の傳説歌人たる西行が、その傳説に於て膾炙せる弟子西住を伴つて登塲した點に、小町傳説の一進展が認められ、また最後に西行の供養によつて小町がめでたく成佛を遂げる亊に、近古小説の一の型を見得るであらう。なほ小町が蓮臺野に死んだ説話は、他に所見がないやうであるが、たゞ近古小説の「西行」にも記す處であつた。また將門傳説が語られてゐるが、夙に、平治物語卷三、太平記卷十六、俵藤太物語等にみえて有名な「將門は米かみよりぞ‥‥」の歌を藤太といふ男が詠んだ亊になつて居り、この歌を詠んだ爲に將門の首が歌食にされたと怒つて、藤太が悶死するといふのは變つた説話である亊を指摘しておきたい。 原本。帝國圖書舘藏、表紙中央に新板小町のさうし上(下)と題簽ある十六丁各面十四行單郭繪入板本二卷合綴(縱七寸四分、横五寸一分)である。表紙が上下二枚あり、二册を合綴した形になつてゐるが、もとは一册であつたらしく、内題は上卷第一枚にのみ「小町物かたり」とあり下卷になく、丁附も上が九丁まで下が十丁より十六丁までとなつてゐる。又下卷末に「小町物かたり終 鱗形屋板」とあり、柱にも「小町物かたり」「小町物語」とあるので恐らく原名は「小町物語」で、書肆が新板の際に新しく題簽を加へ二册に分つたものであらう。日本小説年表に「小野小町物語一寛文年間版御伽草子中の小野小町の改題、鱗形屋開板」とあるは何によつたか明かでないが、お伽文庫本系の小町草子(小野小町)の鱗形屋板は寓目した亊がなく、恐らく本書を指すのであらう。但し、帝國圖書舘本は、師宣風の繪で、元祿に近い頃の出板と思はれる。  底本::   著名:  西行全集 第二巻   著者:     校訂:  久曾神 昇   発行者: 井上 了貞   発行所: ひたく書房   初版:  1981年02月16日 第 1刷発行  入力::   入力者: 新渡戸 広明(info@saigyo.net)   入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A   編集機: Apple Macintosh Performa 5280   入力日: 2001年01月02日  校正::   校正者:   校正日: