勿来の関写真情報

ここには西行の歌碑はありません。

 0127
東路のしのぶの里にやすらひてなこその關をこえぞわづらふ
          西行山家集(七家和歌集合綴本)より
 0085
東路やしのぶの里にやすらひてなこその關をこえぞわづらふ
            岩波文庫 新訂山家集 補遺より

撮影日:  2003/09/20
撮影場所: 福島県いわき市勿来
撮影者:  新田 由佳
撮影機:  PENTAX Optio330
撮影者:  新渡戸 広明
撮影機:  ASAHI PENTAX SPII・TAKUMAR 1:3.5/24
「勿来の関map」map
「勿来の関map」
常磐自動車道 いわき勿来IC

「勿来の関入口」001 勿来の関入口


「説明板」002 説明板


勿来関
 勿来関は、もと菊田(いわき市南部の古名)関
と呼ばれ今を去る千五百有余年前に設置されたと
いわれ、白河関・念珠関と並んで奥羽三古関の一
つとして名高い関所である。
 これを「勿来」すなわち「来るなかれ」と呼ん
だのは平安中期ごろからであり、北方の蝦夷の南
下をせきとめるためであったと言われている。
 又平安初期の弘仁ニ年、いわき地方の駅路(官
道)の廃止にともなう通行止めを監視する関とす
る説もある
 平安時代も終わりに近い後三年の役のとき陸奥
守源義家が、その平定のため奥州に下向する途中
ここにさしかかる
 折りしも盛りの山桜が春の山風に舞いながら路
上に散りしいていた
 行く春をおしむかのように、武将の鉄衣に舞い
かかる桜の花にさすがの義家も今はただ余りの美
しさに駒をとどめ
  吹く風を 勿来の関と 思えども
        道もせに散る 山桜かな
と詠じたのが、勅撰の千載和歌集に載せられ勿来
関の名を今の世に伝えている

               いわき市

「芭蕉句碑」003 芭蕉句碑

西行あるところ芭蕉あり。恐るべし松尾芭蕉。

  風流のはしめや
おくの
  田植うた
はせを

「関東の宮」004 関東の宮


「関勿来関趾」005 勿来関趾


「奥州の宮」006 奥州の宮


素材集
| 01 | 02 | 03 | 04 | 05 | 06 | 07 | 08 | 09 | s1 | s2 | s3 | s4 | s5 | s6 | s7 | s8 |
(C)Copyright 2003 Hiroaki Nitobe All rights reserved
許可なく転載を禁じます