Title
 書字ノススメ
 Author
 石川九揚
 Subtitle
 見失った手
 Subtitle
 杖
 Description
 中国・唐の時代、太宗皇帝が避暑のため、離宮を散歩していると湿った場所があり、そこを杖でとんとんと叩くと水が湧き出た。その湧水を記念して建てた碑が、書の歴史上、究極の楷書、欧陽詢(おうようじゅん)の「九成宮醴泉銘(きゆうせいきゅうれいせんめい)」である。
  因而以杖導之
  有泉随而涌出
  (因りて杖を以て之を導けば泉の随いて出づる有り)
 妖精が杖で叩くと、力ボチャが馬車に、ハツカネズミが馬に、きたない服は金銀・宝石をちりばめた豪華な衣裳に変わったという話は、ペローの童話「シンデレラ」=「灰かぶり」。日本でもいたるところに、弘法大師・空海が杖で叩くと、水や温泉が湧き出したという伝説がある。妖精は杖を、僧は錫杖を、道化師は棒をもつ。杖は世界を変える不思議なカの源泉である。直接手のひらで地面を叩けば苦悩の「搏打」。足で叩けば、くやしい「地団駄」。にえたぎる感情の生々しい発露。直接手足を使うのでは、少しも世界を変えられない。杖はそれらの感情を吸収、浄化して、奇跡を起こす創造の原動力である。手では湧き出さぬ水が、なぜ杖で叩くと湧き出すのか。杖とは何者か?
 杖は道具である。道具が世界を変えるというだけでは、少しばかり月並みだろう。
 杖は他から与えられるものではなぃ、目分自身がつくり出し、もつもの。自分自身の身体の一部でありながら自分自身の外部にある、第二の手。つまり自己の中に棲む他者であり、自己組織の比喩である。お伽話である「シンデレラ」はともかく、空海の杖は灌漑池を堀ったことの比喩であり、唐の大宗の杖も離宮修復とその完成の比喩である。
 農民の鋤や鍬、漁民の釣竿や網、猟師の鉈や鉄砲、軍人の剣や銃、演奏家の楽器、指揮者の指揮棒、教師の鞭、作家のペン、画家の画筆、書家の毛筆・・・いずれも一種の杖である。西欧の銅版画、日本の絵巻物・・・東も西も関わりなく、人々は何か、つまり杖を手にして生きている姿で描かれている。杖は世界を生きる人間の象徴である。「ヒト」の象徴図は二本足でつっ立った人体像で済むが、「人間」の象徴図になると、手に杖や道具をもった姿で描き出さざるをえない。
 杖をもたない動物は、自然に貼りついたままの自然の一部だが、杖をもつ人間は、杖によって、自然の一部から離れて、真に自然と関係する、杖を持たぬ動物の集合は、単なる「群れ」でしかないが、杖を持つ人間は、「社会」と「世界」を築き上げている。
 人間のみがもつ第二の手である杖は、また、言語であると言ってもいい。そして言葉の根っこは触覚、「間接触覚」である。言葉は「間接触覚」の化成物である。
 たとえば、人の名前を思い出せない時のもどかしく、じれったい思いは誰にも経験があろう。こんな時、もぞもぞした「つかえ」の感覚が腹や胸にある。そのもぞもぞした「つかえ」の感じである「間接触覚」こそが言葉の原糸である。名前を思いおこそうと言葉の原糸を撚り上げると、その人のおぼろげな雰囲気、「ひっかかり」が浮かぶ。「半触覚・半映像」である。やがて「サ」行のの音だった気がするとか、「木偏」のような感じだったとか、音韻や文字のおぼろげな断片が浮かぶ。「半触覚・半言葉」と呼んでいいだろう。さらにその想起が前に進めば、「す」、「すぎ」、「杉」ではなく「椙」、「椙山」、そう「椙山二郎」だったと「言葉」に固まる。その瞬間、顔や声や姿がいちだんと鮮明になった気がして、胸のつかえが下り、腹がおさまり、すっきりする。人の名を思ぃ出す時のこの過程は、言葉を発する時の過程と相似形だと考えられる。だとすれば、意外に思うかもしれないが、言葉の根っこは触覚、間接触覚である。「間接触覚」から言葉は生えているのである。
 別に、いちいち意識しているわけではないが、人間は言葉を発するたびごとに、触覚を言葉に固めるという過程を繰り返している。この「間接感覚」から立ち上がったという実感のない時に、自分の発する言葉が軽いとか、本心で言っているのでほない、借り物の言葉をしゃべっていると感じる。杖はこの「間接触覚」「半触覚・半映像」Γ半触覚・半言葉」そして「言葉」のかたまり、その比喩でもある。
 人間は杖を育て、磨き、杖のカを高めつつ生きていく存在である。太宗皇帝も空海もどこかで杖を拾ったわけではない。日々鍛え、離宮修復や灌漑の難事業実現に結晶させたのだ。この事実が現在の日本では見夫われている。過疎地に遊園地をつくり、後進国にダムをつくり、砂漠に植林すれば、一夜のうちに世界の事態は一変するという「魔法の杖」の幻影に漬かっている。減税すれは不況は克服できるという説も「魔法の杖」ろ幻想。ひとりひとりが育てた杖の営みの総和が、あたかも「魔法の杖」のように奇跡を起こすことがあるだけなのに、今では資全に支えられて呪文を唱えれば、奇跡が起こるとでも思っている。
 近年は、呪文を唱えると、鳩が仕事を手伝い、鳥が金銀の衣裳と金の靴を落してくれるというグリム童話「灰かぶり」=「シンデレラ」が人気だという。人間が「杖」をもつ存在であることが見えにくくなっているのである。

 底本::
  著名:  書字ノススメ
  著者:  石川九楊
  発行所: (株)新潮社
  発行:  平成十二年十一月一日第1版第1刷
  国際標準図書番号: ISBN4-10-148313-2
 入力::
  入力者: 新渡戸 広明(nitobe@progress.co.jp)
  入力機: Sharp Zaurus igeti MI-P1-A
  編集機: Apple Macintosh Performa 5280
  入力日: 2000年11月03日