ノバーリス Novalis 1772‐1801

ドイツ初期ロマン派の代表的詩人,哲学者。 本名はフリードリヒ・フォン・ハルデンベルク Friedrich Leopold Freiherr von Hardenberg。 チューリンゲン地方オーバーウィーダーシュテットの貴族の家庭に生まれる。 敬虔主義の宗教的環境の中で幼年期を過ごす。 若年で世を去ったが,自然と人間に対する深い哲学的思索, 明朗な宗教心などの天性に加え,婚約者ゾフィーSophie von Kuhn への愛とその死の体験, さらには職務上 (1795 年製塩監督局補佐官に就く) 携わった鉱山学, 自然科学などの研究を通じて,現世の生と死を超克するロマン主義的自然観・歴史観を構築し, 《夜の讃歌》や《ハインリヒ・フォン・オフターディンゲン》 (未完, 邦訳名《青い花》),《ザイスの学徒》などの名作を生んだ。 1791 年イェーナ大学在学中若きシラーの歴史講義を聴き, 人間形成に対するシラーの強卑⊿な道徳的意志に感銘を受ける。 続いてライプチヒ大学,ウィッテンベルク大学で実務につくための法学研究のかたわら, 哲学・文学研究に沈潜。 この時期,後に初期ロマン派の指導的存在となったF.シュレーゲルを知り, 以後の両者の交友は,哲学的思索の交換を通じてロマン主義文学理論の形成のために核心的な役割を果たすことになる。 イェーナ大学時代より教授 K.ラインホルトの影響もあってカント, フィヒテの観念論哲学,とりわけフィヒテの自我哲学に強く魅せられ, その研究に従事したが,自我と非我の弁証法的対立から止揚されるいわゆる〈絶対自我〉の理念は, ノバーリスにとって結局は血の通わない抽象的概念に過ぎなかった。 自我と宇宙,自我と永遠なるものとの愛による神秘的一致こそ彼の終生の課題となる。 このような思索の深化に決定的な契機となったのは, 婚約者ゾフィーの死 (1797) であった。 その 1ヵ月後,彼の弟エラスムスも病死するが, 死との対決を通して,現世の死は〈永遠なる故郷〉〈根源的な生〉への回帰という人類史の秘義にまで昇華する。 永遠の生の神秘を啓示するものこそポエジーの力にほかならない。 ノバーリスが〈近代のオルフェウス〉といわれるゆえんであろう。 宇宙・自然との霊的一致を標榜する有名な〈魔術的観念論〉の背景には, J.ベーメ,F.ヘムステルハイスらの神秘主義的宇宙観, シェリングの自然哲学の影響もあるが, 神との一致というキリスト教的神秘主義も明確に現れている。 ちなみにヘッセはノバーリスを評して, 〈ドイツ精神がつくりだした最もユニークで神秘的な作品を遺した〉と述べている。

中井 千之
『ネットで百科@Home』